材木も魚と同じ?なのだろうか。

 今日は材木屋さんの営業が来られた。これまでいくつかの物件でお世話になった方。ただいつもと違ったのは、頂いた名刺に書かれた会社名。
 あれ元にいらっしゃった会社は?
 実は倒産してしまいました。
 エ!本当に?
 驚きを隠せない。幾人かの営業さんがいた家族的で小規模な会社だが、こだわり商品を揃え、どの方が営業に来ても手作り感あふれるカタログやチラシでいつも紹介をされていたのが印象的。社長が全国を巡って見つけた良質な材をその土地の製材業者さんとタッグを組み、産地直送的に現場に届けてくれる良心的な会社でした。営業さんは時間を惜しまず納品した物件の後日談などもよくされたり、売りっぱなしの商社的な印象がありません。
 ですから、普段から出来れば使いたいと思う会社のひとつだったのです。

 近頃は材木の値段が逆転しています。以前は安いと思っていた外国産の木材が伐採の規制や運搬費用の嵩みで値上がり、対する国産の杉・桧の値段が下がってきています。以前のイメージと違い、桧材で建てる家が必ずしも贅沢とは言えなくなっているのです。
 今回は金額が厳しいからナニナニでいいよ。と現場で言っていたのが、それならスギヒノキにしてもらえませんか?と返されるのです。

 折角こだわりの家を建てるのだから、ちょっと高くてもドコソコのナニナニフローリングを使おう。と言っていたところが、今はヒノキのフローリングが手頃に使えるとなれば、そりゃあヒノキで充分だわ。と思うのがフツーな施主さんや設計者の心情ではないでしょうか?
 そうすると、こだわり地方材もその煽りを食らったに違いありません。

 例えは変ですが、アジ・イワシ・サンマ。庶民の味方とばかり思っていた魚(外国産の材木)が、気がつけば高級魚になっていた。漁獲量と魚の値段の関係にちょっと似ているような気がしました。

 今日来られた営業さんは、先の会社の材木の販売を引き継がれて、その案内に来られました。やはり手作り感あるカタログを携えてです。
 まだ倒産や引き継ぎのことを知らない設計者も多いようでした。
 一般の人が地方材に興味を持ってもらうにはこんな営業アイテムを揃えたらどうですか。とか。こんな案内を用意してもらったら、周辺の人には伝えやすいです。とか、お節介な事をついつい提案してしまうのでした。

人と木 〜 坂口製材所「吉野サロン」を訪ねて

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昨日は、桜ではなく杉?を見に行きました。とても活動的な製材所があるから見に来てください。設計仲間からのお誘いを受けて、日帰りハイキング気分で奈良県吉野まで。お天気も良く久しぶりに行楽気分を味わってきました。

伺った先は、吉野で天然乾燥の杉材を中心に取り扱かう坂口製材所さんが、敷地内で地域にも開放している「吉野サロン」と、隣接するモデルハウス「吉野STYLE」です。それぞれに違った印象を持ちながらも、木の家の良さをとても心地よく表現された住まいになっています。坂口さんは、此処を基点に大阪方面や名古屋方面の建築家さんや工務店さんとネットワークを活発に組み、少しでも広く吉野の材の良さを知ってもらい、もっと身近に使ってもらいたい、と地元製材業にとどまらず、販促事業にも率先した活動をされています。3時間近く話にお付き合い頂きましたが、「木は余すところなくすべてを使い切る事ができる。でなければ木に申し訳ない」その熱い思いが視線からヒシヒシ伝わるといった印象でした。

自分自身は、木造の物件が増えて来たこともあって、徐々に「木」そのものに興味を持ち出したところぐらいです。特に始めの頃はデザインアイテムとしての「木」でしかありあません。色味のイメージだけで選んでいたと言っても過言でありません。正直なところ、今でさえ製材され仕上がった木を見て材種を答えられるのはわずかでしょう。(ヘタすれば0点かも。。。)それでも、現場に塗装の予定で据えられた材が時には美しく、時には迫力があり、色を塗る事に躊躇する事はしばしばありました。たまたまな機会で少し木の事を勉強しはじめ、もっと思慮深くなければ、坂口さん風に「木に失礼」になると、ようやく分からないなり悩むようになったところです。

吉野の清々し空気に触れ、ちょっとした癒しのひととき(人と木)を過ごし、近頃は出不精になっていた自分への良い活性剤にもなりました。

阪口製材所 | 吉野サロン・吉野STYLE

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話は逸れますが、先日の地震には驚かされました。18年経った阪神大震災を思い起こす揺れに、布団の中で暗闇に眼を見開き、さすが身が縮まった思いがしました。その日の夜と翌日の夜、震源に近い洲本市でお世話になった施主さんや工務店さんに、安否の連絡を取り、みなさんが怪我無く無事でまずはひと安心ししたところです。
そして、今回の地震は知られていなかった断層が原因とのニュース。地震に対する備えは設計のなかでも、ますます必然になってきたと感じてしまいます。

思い込み〈木の知識〉

思い込みとは恐ろしく罪なこともあります。本日アマゾンから届いた本をパラパラとめくりながら、あ〜ナンテコッタ。と思うのは僕だけではきっとないハズ。(そう思いたい)

そこには例えば、年輪は南側ほど広い、、、のはウソ。と書いてある。そんな書き方ではありませんが、え、何それ?。山や森で方向を見失った時は切り株を見れば分かると、基本中の基本のようなこのサバイバルの基礎知識を誰に教えてもらったかは定かでないけど、きっとそう習ったハズ。(そう思いたい)
もしそれ(年輪は方向と関係ない)が本当なら、 昔の大工さんは木の生育を見極めて、柱を南には南向きの面を、北には北向きの面を向けて使っていた。といった話は、実はどこまで信憑性があるのだろうと疑ってしまいそうになる。製材されて四角くなってしまった柱を、カンナを掛けてゴロゴロ(でないけど)引き回した木材の年輪以外に何を見ればよいのだろう? 節の様子? 枝の生育も東西南北は関係ない。と書いてある。う〜手触り? いやいやまさか。伐採から製材まで生育方向を管理するなんて、今だろうが、昔だろうがちょっと現実的な気がしない。でもやっぱり昔の大工さんはスゴイと思いたい気持ちも半ば、いったいそうした話はどこから湧き出るのだろう?

思い込みとは少し違うけど、木は生きてるとか呼吸してるとか。これもウソな訳で、木材は科学的、生物的には死んでいる。ケンシロウが言う間も無く、立っている最中からそのほとんどは死んでいるのだ(そうだ)。科学的根拠はともかく、誤解を生むような言葉を自分自身も発している。プロとしてこれはどうか?直接に材木を売る商売をしてる訳ではないが、エンドユーザーに対して噓も方便で済ませられるだろうか?なんだかな、と思い始める。

木材の話だけに限らず、いっぱいいろんなところで、思い込みの知ったかぶりを撒き散らしている気がしてならない。罪をコレ以上積み重ね無いようにするには、盲目的にならずただただ勉強するしかなさそうだ。という前に、まだ読み始め。。。!?

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