ハンドメイドのサイトで購入してみた

スツール|HYTNOS
スツール|HYTNOS

 ハガキの額縁を探してたまたま行き着いたハンドメイドやクラフトショップのモールサイトを見ていると、案外高くもなく手作り品ならむしろ安いぐらいかも〜と思って、この機会にいくつか利用してみた。
 手はじめに購入してみたポストカードの木製フレームが丁寧な作りで良い感じだったので、ヨメサンからの要望でもあった台所用のスツールを物色始める。

 現物を手に取って見れないのでネットに載せられた写真を見ながらページをめくる、スッキリした感じの好みのものを見つけた。注文してみると、作家さんから直に連絡が来るのは面白い。しばらく日が経ち家に届いた。想像していた感じのいい雰囲気でこちらも丁寧に作られている。届いた連絡ついでに、少しだけ感想を返す。返信もいただいた。

 形は良かったのだけど、ヨメサンの使い勝手には心持ち大きかった。勢いまた別の作家さんのスツールを頼んでみた。今度のは要望に見合いそうだ。
 届いたスツールにまたお礼と感想を返す。返信をいただく。

 反映されるかどうかは分からないけど、こんなやり取りが作り手さんとできるのはちょっと楽しい。届いた額縁もスツールもどれも、作家さんの顔を想像しながらありがたく使わせて頂いている。

ムジボックスで事務所の片付け

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今週は慌てる仕事がないので、このうちにと事務所の片付けを始めています。この場所に引っ越し当初、何も置かず心清らかにお香が似合うような部屋にしてやろうと心密かにもくろんでいたのですが、その思いははかなく崩れ去りました。ありがたくそれなりにワタワタとしていたと言ってしまうと何ですが、片付ける間もなく時が過ぎ、このままではマズいと思っていたところ。たまたま、近いうちに旧来の友人が事務所を覗きに行きたいと連絡をもらい、こりゃ良い機会と断捨離計画に踏み込んだ訳です。

残念ながら捨てる技術に乏しい私は、足下に拡がる書類やら、空きの机に横積みされた図面がなんとやら。さらにガラクタ好きな性分で自分でもよく分からないものがゴロゴロしています。意を決して大枚?はたいて muji のカラーボックス(ムジボックス?)をネットで7セットも購入。今朝到着して午後から組み立て始め、ようやくひと息ついたところです。このムジボックス届いてみるとなんと軽いことか。結構ペコペコで、コレ本詰め込んで大丈夫かいな。引っ越し当初に揃えた Iris のカラーボックスはすでに緩やかな逆放物線を描いています。値段も値段だし買っておきながらそんな事を言っても始まりませんが、ムジボックスはこの軽さのおかげで難なく終わった訳です。これだと女性でも無理なく組み立てられるよな〜、この微妙な頃合いは狙ってるのだろうか?違ったところで感心。

さらに、もともと考えていた場所に据えてみると、普段の自分の居場所からどうにも圧迫感があって、4本積み上げるつもりを急きょ計画変更。がしかし、偶然にも部屋の間口に平置きした2本のムジボックスがピッタシ。1センチのスキもなし。これも狙っていたのか?まるで建築家のような納まりに笑ってしまいました。終わって眺めてみると、なんだか違和感が無い。
住宅の計画でも作り付けの収納や家具を描いた後に、果たしてこの場所で使いやすいのだろうか?まさしく違和感はないだろうか?と、生活の様子をどことなくイメージして見ます。しかし出来てみないとなかなか分かりません。持ち込みの家具とのバランスやら、結構悩むものです。
たまにこうした模様替えをやってみるのは、ええシュミレーションになりそうです。

白熱電球への想い?

先日、夏の節電に白熱電球の販売・製造の自粛のニュースが流れて、仕方が無い事かもしれないが寂しい気持ちになられた方は多いのではないだろうか?。僕はその一人。
白熱灯好きの設計士は多いと思うのだが、その理由として一番は暖かみのある明かりの色ではないだろうか。電球型蛍光灯が現れて白熱灯を蛍光灯に切り替えてみても、食卓を照らす色具合はやはり今なお白熱灯の方が自然に見える(気がしている)。白熱灯は熱くなるので仕方なく電球色の蛍光灯にしてみても、どことなく料理が美味しそうに目に映らない。科学的に言ってみればスペクトルの加減なのだろうが、人工的に調整した蛍光灯のスペクトルは白熱灯にくらべるとデジタルな感じなのだ。デジタルカメラで撮った料理写真を一生懸命画像ソフトで美味しそうに見えるよう調整している訳で、本物?にはかなわない。

とは言え白熱灯も言ってしまえば科学によって創られたもの。それが、蛍光灯そしてLEDに取って代わられるのは自然な成り行きと理解も出来る。でもしかし、単純な仕組みで光る白熱電球は一番身近に感じられる科学だし、このエジソンさんの大発明に日本の竹があってこそ成り得た科学史が、ネットで読むアーカイブの一端になってしまうはあまりに惜しい気がしてならない。お父ちゃんが子供に話聞かせるにも臨場感はまるでなし、LEDの仕組みなんて今度は口ごもるに違いない。アナログ人間のそんなロマンチシズムも節電にはかなわないのが、やはり寂しいと思ってしまう。

ただ一方で変な世の中に思えるのは、発光方式も変わり本当はこだわる必要もきっと無いはずなのに、人は電球の形をいまだに追いかけている事ではないだろうか。電球型蛍光灯、電球型LEDと、既存の器具の白熱電球と差し替えるのに見た目と操作性に違和感が無い様にする為も分かるが、商品には何の意味か「リアル」と冠されたり、フィラメント風に光るLED電球も開発されて、バーチャルなアナログを演出する事に面白いと思う反面、このまま突き進むとますます何が本物か分からなくなっていく様な危機感を感じるのは考え過ぎだろうか。