映画「モンテッソーリ 子どもの家」

 機会があれば、こども園・保育所や幼稚園などの児童施設の設計に関わりたいと思っているものの、実のところ幼児教育についてほとんど無知に近い。どことなく聞き及んだことがあったのは、シュタイナー教育と言った単語ぐらいだろうか。それさえも、教育内容についてなんとなく勝手な想像をしているだけ。
 保育所計画に実際関わって知ることになった単語には、モンテッソーリ教育、レッジョエミリアなどがある。それぞれの違いを答えるにはまだかじり読みだけで理解が乏しく、もう少しぐらい答えられるようにしておきたい。

 そんなところで、先日公開された「モンテッソーリ 子どもの家」を観てきました。
 大口を叩けば、保育・幼児教育に限らず、小・中・高・大、教育に関わる方はもれなく観ておいて損は無いに違いない。が、観終わった直後の感想です。
 というのも、大学の非常勤講師をさせていただいた経験もあるのですが、その時分に学生とどう接していたか、映画の中の先生と比べてしまうのです。もちろん、6歳に満たないコドモと接するのと、20歳前後のオトナ?に接するのでは違って当たり前と言えますが、根本は同じはず。もう少し、こんなふうにしていた方が良かったんじゃなかったかな〜、思わず回想してしまうのです。

 映画の中で現れるキーワードに、自発性や集中があります。ある事物に興味を持つことで遊び「仕事」に集中力が高まる瞬間があります。自分自身の成長のためであり、且つ無意識なものです。簡単に言ってしまえば、夢中になっている訳です。達成できたり、興味が薄れるまでそれは続けられるものです。
 夢中になることは、幾つであっても大事なことです。今、自身の仕事においても同じ。学生時分に何かに打込む時も同じ。講師時分なら、教えている学生が夢中になれば、放っておいても良い仕事をしてくるものです。
 どうやって、夢中になれるか、夢中にさせるか。もちろん自発的に。

 映画に映し出される小さな子どもの教育現場を、ええ歳になってしまった自分の成長を促すネタにするのは、いささか恥ずかしささえもありますが、知識のために観にきたつもりが、観終わると、自分のために観ておいて良かった。とさえ思える素晴らしいドキュメンタリー映画です。見始めは子どもたちのかわいさに惹かれますが、観終わるころには自分自身を振り返ることでしょう。羨ましささえ感じます。
 監督さんは、自分の娘の成長を考え始めたなかでモンテッソーリ教育を知り、2年半の取材を重ねた上にモンテッソーリの教師資格も取られたそうです。子どもに寄り添った膨大な撮影時間を、短時間で垣間観られる贅沢な映画です。

 この映画、題材も題材なのでメジャー館ではやはり伸びなやみでしょうか。嫁さん二人の貸し切りで観させていただきました。お陰で映画途中に気兼ねせず会話も多少できて良かったですが、もっと多くの人に観てもらいたいと思います。
 観賞後に買ったパンフレットには、保育師の先生のインタビュー、監督のインタビュー、など解説がとても良く、映画そのものだけでなくモンテッソーリ教育の入門ガイドとしても読む価値ありでした。

講演会「幼児期における探求的・協同的な学び」

神戸親和女子大学で開催された第13回国際教育フォーラム「幼児期における探求的・協同的な学び〜レッジョ・エミリアとデューイ・スクールに学ぶ〜」の聴講に行きました。

保育所の設計をいくつかさせて頂けるようになったものの、実は幼児教育という世界がほとんど分かっていない。教育法的な話しはもちろん出てくるので折りに触れ関心は持つものの、なかなか踏み込めないのが正直なところ。そんなところで、今関わっている保育所(こどもなーと)の和泉先生からの誘いで今回の講演会を聴きに行ってきたところです。

レッジョ・エミリアとは、イタリアの地方都市の名前。このレッジョ・エミリア市が市予算の15%をも拠出しながら推し進めている幼児教育システムが、世界各国から注目を浴びています。
前知識だけだとアートを主体にし子供たちの可能性を引き出す幼児教育という理解でしたが、話しを聴くうちに、本質的にはそういうことではないのだと思いました。アート的な教育活動の実践はもちろん常に行われていますが、情操教育というような範疇とは別物です。アート活動はあくまで教育ツールのひとつに過ぎず、子供たちそれぞれのコミュニケーション能力を高め、協調しながらのディスカッション能力も高めるための手段として活用されているのです。
上手な絵が描けるようになるため、上手に楽器が演奏できるようになるため、と言った結果でなく過程が重要視されます。また子供自身が持つ目標を達成するために、現場の先生は共に考え、時には手を差し伸べるのです。幼児教育の現場には一見不相応な、本格的な道具も惜しみません。

今回の講演を聞きながら、以前観た、映画『ちいさな哲学者たち』を思い出しました。フランスの公立幼稚園で行われた、先生が園児達と哲学のディスカッションを2年間に渡って行う革新的な教育プログラムを追ったドキュメンタリー映画です。
方法こそ違えど、根っこのところは同じ思想のもとに行われている教育実践と感じました。お国柄の違いと言ってしまうのは安直ですが、子供たち自身から沸き起こる自立、探求、協調といった能力を引き出す過程にどちらも変わらないものと感じます。

講演なかの興味が湧いた話しのひとつに、子供たちと「カエル」に関する本を作るプロジェクトにおいて、取り掛かる前(初期?)に街の本屋さんに本が出来上がったら書店に並べてほしいと交渉を、子供たち自身にさせるという下りです。
交渉成立し子供たちのモチベーションも上がります。中学生の社会参加なら身近にも想像できるのですが、小学生に満たない園児たちにも社会との接点を躊躇なく持たせるのです。レッジョ・エミリアでは、大人も子供も隔てなく全員が社会の一員であると考える前提があるからです。
こうした取り組みが、街ぐるみに子供の教育に関心をもたせる仕掛けにも変わります。

ナニナニ教育法という括りとは一線を引くレッジョ・エミリア・アプローチはとても新鮮なものでした。
「自由とは、ディスカッションをするということ」
子供たちに、自由とは何か?。と問いかけた時の一園児の答えです。

レッジョ・エミリアから来られたお二人の先生の講演の他、近しい幼児教育をされている元カナダトロント大学付属幼稚園の園長先生の講演、こどもなーと保育園和泉先生の講演を伺いました。
どのお話も興味深く貴重な話しであっただけに、保育所設計アプローチにはもっと勉強が必要だな。。。と痛感します。

映画「ちいさな哲学者たち」を観ました。

ヨメさんからの誘いで、映画『ちいさな哲学者たち』を観に行きました。フランスの公立幼稚園で行われた、先生が園児達と哲学のディスカッションを2年間に渡って行う革新的な教育プログラムを追ったドキュメンタリー映画です。とても面白かったです。

子供は時として大人を驚かす様な発言をします。とお決まりな文言がありますが、これは大人の屁理屈からの視点でしかないのでしょう。映画のスタートは素朴な質問に子供達も言葉が出てきませんが、後半になると大人顔負けの思考を展開しています。賛否もはっきりとした議論ができるようになっていきます。最後には、小学校にあがったら哲学の授業が無くなるから面白く無い。考えなくなってしまうかも。と子供達は嘆く程に成長を見せてくれます。

仕事に没頭し、いや、仕事を言い訳に考える事を失いかけている自分には、頭の下がる思いがします。この間友人と飲みに行った時も、デザインは何故そうなのか?理由をきっちり考えないといけないよね〜。なんて言っておりましたが、果たしてどこまで出来ているやら。

映画の中の子供の一人が、なんとなく爆笑問題の二人の掛け合わせにも見えて来たり。可愛いだけでなく、コイツはなんかオレに近い気がする。とファンになった子供の発言が気になったり。苦笑まじりの笑いが映画館で絶えませんでした。
文化も環境も違う日本の子供達に同じプログラムをするとどんな風になるのだろう? 自分を含め、ものを考えない大学生が増殖される前に、幼稚園からと言わずとも小中高でこうした試みは少し早くから始める方が、日本国力に厚みを持たせるためにもいい様に思えますし、自然と文化を愛する心も育つような気がしました。