展覧会「大工さん展」と「建築と社会の年代記」

建築と社会の年代記―竹中工務店400年の歩み―神戸市立博物館

 ようやく冬らしい寒さになり、ほんのチラっとですが、この冬はじめて雪を見ました。寒空の中、大工さんと竹中工務店にまつわる展覧会を観てきました。

 まずは、竹中大工道具館で開催中の「大工さん展」近世の職人文化とその伝統。

 解説の中に書かれていたことですが、特に関わりの無い方でも何気ない会話の中に「大工さん」とさん付けで呼ぶ習慣があります。なぜか親しみ深い。映画やドラマの時代劇には、必ずと言ってよいほど「大工さん」が現れます。登場人物としては外せない職業。展示に紹介もありましたが、落語には人情もろい大工さんが沢山出ているような気がします。
 昔々から建築工事は日常茶飯事な身近なもの。それだけ就労人口も多く、当たり前にある職業のひとつに感じていたのだと思います。しかし今は3Kやら言われて大工さんが減っているのが実情ですし、出来上がりのマイホームに移り住むだけで工事過程を覗くこともない施主さんも増えているでしょう。親しみを込めて呼んでいた「大工さん」は、だんだんと過去のものになりそうな気もします。

 その足で、神戸市博物館で開催中の「建築と社会の年代記」 竹中工務店400年の歩み  も観覧に。

 竹中工務店と聞くと、ゼネコンの一社ぐらいだけに思っている方も多いのではないでしょうか? 建築に携わらなければ、私もその一人。ですが建築士を目指す学生時分は、建築家を多数輩出している竹中工務店の設計部は憧れの一つ。才覚あるなら行きたいぐらいに思うのは当然でした。
 展覧会の見出しにもありますが、竹中工務店は400年の歴史になるそうです。明治の終わり頃に、工匠・竹中藤右衛門が神戸の地に創立、とあります。町の工務店の一つだった訳です。当初から施工技術だけでなく、建築意匠にも拘る社風があり、今では建築界のエリート集団なイメージさえもあります。
 展覧会は400年を一堂に会するとさすがエライ物量です。じっくり見たわけでもないのに3時間近く費やしました。厳選し展示された昔の青焼き図面が美しく、手書き図面の設計者の苦労が偲ばれます。これらは氷山の一角。このとんでもない資料群を保管するだけでエライ事になりそうです。とは言え何もかもがコンピュータになり、モニタに映されるCAD図面で展示が済まされるようになると、間違いなく寂しさを憶えてしまうだけでなく、そこに人が介在していることさえ気付かなくなりそうです。

 ふたつ展覧会を観ながら、「大工さん」に及ばずとも「設計屋さん」を知ってもらい、さらに過去のものにしない為には、今をもうちっと頑張らんとアカン気がしました。

竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統
竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統
竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統

作家 木下昌輝 *「金剛組」の木内繁男棟梁トークイベント

隆祥館書店トークイベント

大阪谷町にある本屋さん隆祥館書店のトークイベントを聴講してきました。

 初めて伺った隆祥館書店さんは、一見すると都会によく見かけるビル下の小さな本屋さんですが、下火な出版業界を危惧しこうしたトークイベントを4年ほど前から始めて、今ではその筋で人気の講座のようです。
 ビル横手にある小さなエレベーターで8階にある会場へ。
 小さな集会室にパイプ椅子がスシ詰めに並んでいるのがすぐ目に留まりました。下履きを入口で手渡されたビニール袋に詰込み、会場へ促されれば余裕無く並んだ椅子に座り込むしかありません。背中のリュックを身体を捻りながら前に持ち直し、手元の荷物を整理し終わった時には、もうそこから出られそうにない雰囲気。
 今回、小説家木下昌輝さんが「金剛の塔」を上梓された記念イベントとのことですが、実は木下さんの小説を読んだことがないどころか、お名前も知らずに会場に来ました。このイベントをヨメさんから伝え聞き、「金剛組」木内繁男棟梁の話を聞けそうなので足を運びました。お二人共に人気なのでしょうか、客席はスゴイ人口密度に熱気やなにやらムンムン、明らかに換気不足な感じ。今ここで何かが起ころうものなら一巻の終わりだな〜なんて思っている内、講座がスタートしました。

 トーク全体の構成は、木下昌輝さんの「金剛の塔」についてと言うよりも、そのモチーフとなった建設会社「金剛組」について、五重の塔の建設現場や職人についてのお話を木内繁男棟梁から伺うのが中心でした。
 「金剛組」は、聖徳太子の時代から継がれてきた1400年の伝統をもつ寺社物件中心の建設会社です。さらに8組ほどに分かれ、総勢100人ほどの宮大工が在職されているのだとか。普段接する建設現場とは、まったく違う世界がありそうです。

 渋めな声で気さくに話しをされる木内棟梁ですが、語り始めの話が個人的には面白かったかもしれません。
 職人世界で「技を見て盗め」とよく言いますが、具体的には「掃除に廻れ」と若い職人に言うのだそう。その心は、箒とちり取りを持って廻れば邪険にされず、近くに寄って熟練の仕事の様子を見ることが出来ると言うのです。なので、掃除が行き届きすぎる弟子を見ると、(仕事を盗めてないから) コイツぁ伸びないかな〜と思うのだそう。まじめすぎてもダメな訳で、要領良く立ち回れなければ技も盗めないということですね。掃除がまったく出来てないのも困りモンですが。。。
 技術が卓越していることも大事ですが、棟梁は多人数の大工を束ねる頭ですから、いかに人を配分するかも気を使うのだそうです。若い時分にはそんな事かまわずひとり技を磨くことだけに集中するものですが、現場全体を束ねるとなると折り合いの悪い大工集を組にすると仕事が進まなかったり、良い仕事ができない。人事なことにも悩むようにもなって、イロイロ気付かされたそうです。

 作家の木下さんが「金剛組」の取材をしたなかでも、記憶に残る家系図の話をされました。
 「金剛組」は、飛鳥時代初代金剛重光から始まり、数々苦難はありつつも金剛家一族で受け継がれながら現代までつづきます。その家系図を見て木下さんが驚いたのは、必ずしも長男が受け継ぐのではない組織であったこと。あくまで技術の継承を念頭に、技巧が足らなければ長男が跡を継ぐことはできなかった。親戚一同の中で長となる適任者を常に頭に据えながら、時代を超え寺社建築の技術を守り通して来たのだそうです。今で言えば能力主義なのでしょうが、それを聞くだけで波乱の多い歴史を持つだろうことは想像できそうです。

 その他、大工仕事の技術的な話をはじめ、法然寺(高松)に建設された五重塔の建築中写真のスライド紹介や、持参いただいた継手模型を説明いただいたり、短い時間にイロイロなお話を伺うことができました。
 建築工事は想像されるよりもシビアな世界です。木材が沢山積まれた様子を見ると、ひとつやふたつ余裕があるものと思われそうですが、高い材料になればなるほど、適正に拾い出し必要数しか現場に届きません。失敗すれば、やり直しの材料は工務店の持ち出しです。
 そんななかで後継を育てるためには、若い衆に高価な材料の墨付けや加工を任せることがあります。たかが木材と思い気や、ひと度間違えるとウン百万って材料が使い物にならなくなる時もあるのです。ヒヤヒヤしながら弟子の手元を見ていると、棟梁は夜も寝られなくなりそうです。木内棟梁の工場にも、実はそんな材料が眠っているのだけど、なかなか使い回しができないのですよ。と笑いながら頭を掻かれている様子に笑えるようで笑えません。

 さて、この続きに小説「金剛組」の感想など書ければ良いですが、それはまたの機会に。

講演会「幼児期における探求的・協同的な学び」

神戸親和女子大学で開催された第13回国際教育フォーラム「幼児期における探求的・協同的な学び〜レッジョ・エミリアとデューイ・スクールに学ぶ〜」の聴講に行きました。

保育所の設計をいくつかさせて頂けるようになったものの、実は幼児教育という世界がほとんど分かっていない。教育法的な話しはもちろん出てくるので折りに触れ関心は持つものの、なかなか踏み込めないのが正直なところ。そんなところで、今関わっている保育所(こどもなーと)の和泉先生からの誘いで今回の講演会を聴きに行ってきたところです。

レッジョ・エミリアとは、イタリアの地方都市の名前。このレッジョ・エミリア市が市予算の15%をも拠出しながら推し進めている幼児教育システムが、世界各国から注目を浴びています。
前知識だけだとアートを主体にし子供たちの可能性を引き出す幼児教育という理解でしたが、話しを聴くうちに、本質的にはそういうことではないのだと思いました。アート的な教育活動の実践はもちろん常に行われていますが、情操教育というような範疇とは別物です。アート活動はあくまで教育ツールのひとつに過ぎず、子供たちそれぞれのコミュニケーション能力を高め、協調しながらのディスカッション能力も高めるための手段として活用されているのです。
上手な絵が描けるようになるため、上手に楽器が演奏できるようになるため、と言った結果でなく過程が重要視されます。また子供自身が持つ目標を達成するために、現場の先生は共に考え、時には手を差し伸べるのです。幼児教育の現場には一見不相応な、本格的な道具も惜しみません。

今回の講演を聞きながら、以前観た、映画『ちいさな哲学者たち』を思い出しました。フランスの公立幼稚園で行われた、先生が園児達と哲学のディスカッションを2年間に渡って行う革新的な教育プログラムを追ったドキュメンタリー映画です。
方法こそ違えど、根っこのところは同じ思想のもとに行われている教育実践と感じました。お国柄の違いと言ってしまうのは安直ですが、子供たち自身から沸き起こる自立、探求、協調といった能力を引き出す過程にどちらも変わらないものと感じます。

講演なかの興味が湧いた話しのひとつに、子供たちと「カエル」に関する本を作るプロジェクトにおいて、取り掛かる前(初期?)に街の本屋さんに本が出来上がったら書店に並べてほしいと交渉を、子供たち自身にさせるという下りです。
交渉成立し子供たちのモチベーションも上がります。中学生の社会参加なら身近にも想像できるのですが、小学生に満たない園児たちにも社会との接点を躊躇なく持たせるのです。レッジョ・エミリアでは、大人も子供も隔てなく全員が社会の一員であると考える前提があるからです。
こうした取り組みが、街ぐるみに子供の教育に関心をもたせる仕掛けにも変わります。

ナニナニ教育法という括りとは一線を引くレッジョ・エミリア・アプローチはとても新鮮なものでした。
「自由とは、ディスカッションをするということ」
子供たちに、自由とは何か?。と問いかけた時の一園児の答えです。

レッジョ・エミリアから来られたお二人の先生の講演の他、近しい幼児教育をされている元カナダトロント大学付属幼稚園の園長先生の講演、こどもなーと保育園和泉先生の講演を伺いました。
どのお話も興味深く貴重な話しであっただけに、保育所設計アプローチにはもっと勉強が必要だな。。。と痛感します。