ものつくりの心:竹中大工道具館・赤尾建蔵先生講演

laminated lumber

先日すまいがっこうにて、竹中大工道具館館長・赤尾建蔵先生の講演を聴きました。とても分かりやすく充実した話の内容にのめり込み、1時間半の講演時間があっと言う間に過ぎました。

大工道具を通した技術の歴史を遡りながら、現在に至る木造建築の有り様を改めて考えさせられます。その昔まだ道具が未成熟だった頃、木を石で加工するには柔らかい木を選ぶとへこんでしまうばかり、そのため敢て堅い木を選んでいたと言うだけでも、自然の摂理に沿ったものつくりをしていたと分かります。人は自然と対峙しながら成長していきました。
鉄を加工できるようになって刃物が生まれた時代でも、 当初はまだまだ石の延長で木を加工していた訳ですから、木の癖や性質を見極めながら適材適所に建築をするようになって行きます。だからこそ法隆寺は今も健在するのであって、もし時代を経て近世に建造されていたとすればその姿は変わっていたのかもしれません。今に残っていないのかもしれません。
道具が発達し加工技術が進化するにつれ、作業も分業化されより合理的に作られるようになります。しかしその一方で材料を都合の良いように扱えるようになり、建物の寿命は短くなったといっても過言ではなさそうです。1300年を過ぎる法隆寺がある一方、江戸時代の建物は600年しか(も?)持たないのだそうです。

たとえそうとしても日本の大工道具の発展を見ると、より合理性を求めた海外の道具に比べると、建物がより永く持ちこたえさせるための木造建築の技術の継承を現しているように思えます。大工技術の伝承は精神性にまで高められ、道具は禁欲的で装飾がないのは今も変わりません。海外の道具はプロダクトデザインとしての発達は優れていますが、自然との対話を置き去りにしてしまったようにも思えます。

そんな赤尾先生の話を聞くと、ホームセンターで手に入る今の電動工具で作られる住まいが一体どのくらい持つのだろう。集成材や積層材などの、当たり前になってしまった今の木質材料は一体どのくらい持つのだろう。1000年2000年持つ様な建物を設計できるなど考える必要はないのかもしれませんが、今考えるべき事は本来何なのかを問い直さなくてはならない気がします。机に向かっているだけの設計では、いつまでも建物を知ることはできないかもしれません。

話はそれますが、ご講演いただいた赤尾先生がボランティアで関わられているネパールの学校建築で、先日「国際石材建築賞」を受賞されました。おめでとうございます。

古材や古民家の再利用:藤岡龍介氏講演

昨日「すまいがっこう」で、藤岡龍介先生の古民家や古材を生かした住まいづくりの講義を受けました。

藤岡先生は、奈良を拠点に古材や古民家の再利用を念頭においた住まい作りをされている建築家です。実は、講義を受けるまで詳しく知らずにいましたが、古材や古民家の歴史的な変遷とその魅力、資源の価値と再利用の方法、再生保存の実例と文化的な背景など、体系的に分かり易く教えて頂くことが出来たと思います。

文化財として再生保存されるものもあれば、民家継承として現代的な要素を加えた魅力的な空間も創出されてもいます。実空間で体験すれば古材の主張が前面に出ているのかもしれませんが、スライドで拝見する限りそうした趣味性の無理強いを感じない、新しい材料とも調和の取れた空間があるように思えました。実際に拝見してみたいと感じます。

時間と予算を掛け、手間ひまを惜しまなければ出来上がらない空間だと思いますが、日本の民家はその材料や部品が建築され解体され、なお再利用されている合理的な建築文化であったと理解できた事が一番の感動かもしれません。増築や改修を繰り返し暮らしの変化に柔軟に対応できるよう、解体されても再利用できる時代を超えた創意工夫があります。京間、江土間などのモジュールが部材を再利用できるシステムにもなっている。釘を使わず組み上げだけで吊り下げられた天井板や、解体された住宅の建具が他の新築の建物で利用可能などなど。
経済的であったとしても現代のように金物や釘や接着剤をむやみに使えば、再利用は非常に困難な事になっていたに違いありません。

大雑把な捉え方ですが、石の西洋建築はその姿のまま時代を継承していますが、日本の建築はもっと複雑に違った形で時代を継承していたのだと感じます。資源はあり余ったものでは無い事を身体で理解した建築文化だったのかも知れません。
新しい建築材料に目がくらむ設計者としては、厳しいお叱りを受けた気分です。頭で理解しても、その真理を理解するのは時空を超えてまだまだ程遠いです。