コロナ禍のわが家では

わが家の宝物のひとつ?

 新型コロナから来る世間の自粛ムードに押されてか、その必要もないのにしばらくブログ記事を書き損ねた感じでいます。当事務所は業態的に、休業と言うことなく基本的にほぼいつも通り。工事現場では材料の手配うんぬんと遅れ気味なことはありますが、ほぼほぼ普通に稼働。むしろお付き合いさせて頂いている施主様方々のほうが、直に影響を受けられている様子も見られ心配です。
 我が身に影響を感じるのは、もう少し先の事になりそう。

 それよりも影響を受けているのは、わが家庭事情。ステイホーム以前からではありましたが、嫁さんの「家の片付け熱」に拍車が掛かっている今日この頃です。

 先に申しますが、建築士が必ずしも片付け好きとは限りません。

 倉庫化していく衣裳部屋。雑多な物置場(しかもほぼ平置き)に化した普段使わない和室、その奥にある押入のさらに奥に追いやられた開かずのままの色褪せた段ボール箱。とうとう爆発!
 このまま放置すると気が滞るの!と、どこから仕入れて来たか断シャリやらミニマリストやらのYouTube動画を流しながら、家のおお片付けが始まったのです。
 当然のことながら、日曜日毎にその日の片付けメニューを渡され駆り出される始末。

 これをわが家の「非常事態宣言」と呼んでいます。

 お陰で日曜日毎に、懐かしい思い出の品?に何十年ぶりに出会い、驚いている日々。それを自慢すると、冷たい視線を浴びせかけられます。
 こちらの宣言解除は、まだまだ掛かりそう。。。

山下和美 著「数寄です!」

山下和美 著「数寄です!」
古いiPadが、今はコミック専用機になってます。。。

 昼食に、ヨメさんが用意してくれる弁当を事務所で頬張りながら、電子コミックを読むのが実は最近の楽しみになっています。お行儀よいとは言えませんが、食事の間に2~3話ぐらいを読みます。たまに面白くなって続けて読んでしまうことも。

 最近は、山下和美の「数寄です!」3巻+続2巻の計5巻をようやく読み終わったところ。ご存知の方も多いかと。

 作者さんが、数寄屋の自宅を建ててつつ数寄者を目指す奔走エッセイコミック?。和風好きな若い建築家と偶然に出会うことから、数寄屋づくりをはじめるのは一般的な家作りから見るとちょっと特殊かも。けれど読み進めると、ちょっと気負って設計士と家作りを目指す方には取りかかりのイメージになります。数寄屋である必要はなく、今風な建築事務所との付き合い方の参考にもなると思います。

 作者自身の個人的な経験を元にしているため、万人向けではないかもしれません。
 ですが、家作りをする本人の視点だけでなく、設計者サイドのことやその付きあい方、住まい作り周辺・その後の様子も描かれ、一般的な家作り本では見ることのない個性的な家作りのプロセスが、幅広い視点で描かれているように思います。また各話ごとに設計者のコラムやインタビューが用意され、建築のことだけでなく和風入門書にもなりそう。実は結構、感心しながら読んでおりました。

 以前に「漫勉」と言うNHK番組で、この山下邸が映し出されていました。
 うわ何!?、この漫画家さん、エラい渋いところに住んでんナ~、なんて思っていたのですが、そのタネ明かしを教えてもらった気分。設計者(作中では蔵田さん)も実在の方で、山下邸をきっかけに数寄屋建築家として活躍されるようになっています。

 これから住まい作りを考え始める方に是非、参考に読んで楽しんでいただけたらとご紹介します。

 そういえば、読み途中になってしまった山下和美の「ランド」。その後が気になり始めました。。。

琵琶本語り|片山旭星演奏会

琵琶本語り|片山旭星演奏会

 嫁さんの誘いで「琵琶」の弾き語り演奏?を、京都市内のひっそりと佇む和楽器屋さんへ聴きに行きました。

 琵琶の演奏? 珍しい楽器だな~。頭に浮かぶのは昔話な「耳なし芳一」か、つい最近放送していたリメイクアニメ「どろろ」。盲人のお坊さんだか、アンマさんだかが背中に背負って、死者の弔いやらなにやら物悲しい音で語り継ぐ。このぐらいの貧困なイメージしか浮かばない有り様です。
 実際に聴いた印象はやっぱり暗かったのだけど、それは語りの内容からかもしれません。琵琶の音色自体はとても自由な感じです。失礼な話すごくイロイロな表現力を兼ね備える楽器だと初めて知りました。ビヨヨ~~ン、ボヨヨ~~ン。とインド楽器のシタールのような音を奏でれば、ジャカジャンジャン。三味線にも似たような音も響かせる。幅広い抑揚のある音色で場を盛り上げたり、鎮めたり。。。
 座敷で座布団に座りながら聴衆も15人ほどの小さな演奏会がさらに良く、とても楽しめ満足しました。

 帰ってからネットで琵琶のことを調べてみたら、勝手に思っていたイメージはどうやら間違いでもなさそうです。7、8世紀ごろに中国から入って以来、日本の中で独自の派生変遷がありますが、平家物語を語り継ぐ盲人音楽家に占有されるやら面白い歴史が原因っぽいです。勝手な解釈で言えば、琵琶はちょっとマニアック感が過ぎて、全体的には琴や三味線に地位を奪われた感じがします。
 語り物の伴奏に使われることが多かった琵琶ですが、平家物が中心で内容がやや暗め。江戸時代になって合戦物で勇壮なものや、町人文化の優美なものなど幅広く発展はしたものの、残念ながら現在に向かう間は下火になってしまったようです。

 自分自身もこれまで勝手なイメージを持っていましたが、琵琶の生演奏を聴けば、若いアーティストも興味を持つに違いありません。琴や三味線よりも柔軟でワールドワイドな気さえします。琵琶がもっとポピュラーな楽器になれば面白いのにと思いました。

建築物省エネ法の講習会に参加してきました。

省エネ講習会資料

 去年の秋ごろ物々しく国土交通省から封筒が届きました。建築物省エネ法が改正されるから講習会に来て勉強しなさい。と言うものです。強制では無いですが、小心者の私は仰々しさに怖じ気づき、去年の暮れに住宅関連、今年に入って非住宅関連の省エネ講習会を受けました。

 広告に高断熱高気密と謳い文句をよく見るようになり、新築住宅の断熱性能は以前よりも向上しているはず。しかし先進国の中ではまだまだ基準値が低く、断熱後進国と呼んでよさそうです。全てでありませんが、日本ではどちらか言えば断熱に対する意識の低さがありそう。

 想像するに、四季に恵まれた日本で暮らすと、寒い地方はともかく一年を通して充分過ごせる環境が各地にあるからでしょうか。性能のよいエアコンもすぐ買いにいけるし、夏や冬をちょっと我慢すればそこそこ過ごせる。はたまた暑さ寒さを感じてこそ日本の住まい。みたいな感じでしょうか? 設計者だけでなく、建築主である住み手もまだまだそんな意識を持つ人は多いのだと思います。

 それはそれも間違いでないと、実はどこかで思っているフシが実は私にもあります。もちろん普段の設計では、真面目に省エネ計算もしています。反面、懐古主義かもしれませんが、夏は陽を遮り冬は陽を取り込む軒の深い家などなど、季節と共生する住まいのあり方にどこかロマンさえ感じています。
 しかしそんな理想になかなか届かず、屋根壁に一体どのくらいの断熱材を入れるべき?などなど、制度に負けて暗中模索に設計しているのが現実です。

 もちろん国交省の講習はそんなロマンは関係ありません。話を聞きながら感じるのはむしろ、CO2排出の削減に世界から立ち後れる日本の現状を打開するためにも、建物の省エネを推し進めなければなんともならない。という偉いさんの切実な願いもあるような気もします。
 来年の改正後には住宅建築のほとんどで、建築士から建築主へ省エネ対応の計画内容を説明するのが義務。だそうです。また、煩わしい省エネ計算を避ける住宅建設の従事者に、より簡単な算出で断熱性能を満たせる計算法を提示しようとしています。
 あれこれ指導は面倒くさいから、自然と省エネ住宅に流れて行くよう誘導する苦肉の策も見え隠れしています。

 学生時分、京都の冬の朝は布団の中でモジモジするのが楽しかった思い出。
 今現在、冬は年々暖かくなっていると感じます。今年の西宮の冬、息が白いと感じた日がまだありません。
 設計を始めたころ断熱は冬の話と思っていました。地域にもよりますが、今はどちらか言えば夏の話と捉えることが増えました。高断熱な住宅を計画し現場や完成後に実体験すると、正直心地よいと感じることも確かに増えました。日本の家の住まい方は、自分の思いと無関係に変わっていきそうです。

仕事始めは、駐車場の掃除から。

駐車場の切り株

 今日から仕事はじめ。ですが、手始めは年末に手が出せなかった駐車場の掃除から。

 借りている駐車場のちょうど脇に生えている雑木が、特に春夏の間に日に日に大きくなります。一昨年に背丈を超え拡がった枝葉でスペースが圧迫され、なんともならず、大家さんにお願いして一度切ってもらったのが大きな方の切り株。と言っても6〜7センチ。ひと安心はつかの間、株の脇からニョキニョキと伸び出し腰高を超え始めたので、今回は早めの対策。大家さんの了解をもらって切らせて頂いた。

 事務所の玄関前でも、L型側溝の掃除を怠っていると積もった砂に雑草が生えてきます。コチラも併せて草抜き&掃除。併せて、お隣さんと年始のご挨拶。

 それにしても、植物のへこたれ無さには逞しささえ感じてしまいます。

謹賀新年2020

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

 にいまるにいまる。
 「令和」へ年号替わっての初めての年明けは、切りの良い始まりですね。

 この年末年始は、これまでにない落ち着いた時間を過ごすことができました。ですが、落ち着くにはまだまだ早い。にいまるさんまるの未来に向かって、改めてスタート地点に立った気がします。
 わたくしごと。にいまるにいまるにいにいまる。が、次の誕生日。ステップアップを目指し切りの良い年となるよう、この一年を過ごしたいと思います。

 本年もよろしくお付き合いください。

廣田神社の干支土鈴
西宮廣田神社の干支土鈴

あれこれスッキリ。ことしの片付けアレコレ。

 嫁さんの奮起で、今年は家のアレコレに駆り出されました。

 手始めは、阪神大震災のとき道路沿いのブロック塀が少し傾いてしまっていたのですが、気になりながらもそのままにしてしまい。古びたブロックがところどころ欠けだしてきたり、通りすがりの子供がサッカーボールをぶつけては嫁さんがビクビク。そのままにしてはご近所からの印象も悪そう、ブロック塀の修繕に市の助成金を利用できるのを知り、アルミの木目調フェンスに取り換えて随分スッキリしました。

 塀がキレイになると、併せて猫の額ほどの庭を少しはこましにしたくなり、お世話になった施主さんから不要になった蓄熱暖房機のレンガを引き取れたので、コレを庭の隅に敷き詰めダイカンドラという下草をばらまき、どことなくガーデニング気分。ようやく落ち着いたところで、一服できるようになりました。

 しかしそこで終わらず、うろつくのら猫対策。近辺には地域猫というのもいらっしゃいますが、うちの庭がお気に入りの通り道になっているのか、片づいた庭が気に入ったのか、ときおり室外機の上にねそべっているところに出くわします。トゲトゲの猫よけマットを敷いてみるも今ひとつ効果なし。折角キレイになった塀に足跡をつけられ嫁さんからナントカしてよ、猫は背丈に近いほどある塀を鼻息ひとつで飛び越えて行きます。さらには、猫除け超音波の前もなんのことなく通過する有り様。

 フェンス下の猫の通りそうなすき間を通れないようステンレスの細パイプで上下に分けたり、フェンスの上にも足が掛けにくいよう同じくパイプを這わせてみたりと、アレコレしてみました。回数こそは減っているような気もしますが、足跡は消えず。今なお猫と知恵比べ進行中です。

 話は家の中へ移り。ツギハギだった障子の張り替えから始まり。

 置き場所があることをイイことに、趣味と実益で溜まってしまったパソコンに白羽の矢が。古いMacが幾台も。使いもしないのに場所だけ占領しておりました。嫁さんから、コレは要るの? コレは要らないの? 部屋に並べ直されたパソコンを前に問いただされ、日に日に強まる圧力にとうとう屈しひとつひとつハードディスクを取り外し、処分業者に連絡。
 家の前に並べられたパソコンの列は、ご近所から見れば怪しげにしか見えませんが、業者のワンボックスに放り込まれる様子を感慨深げに見ておりました。そのうちにある種な解放感漂い。結局のところスッキリしました。

 最後はお風呂場。

 嫁さんが今年2回ほど一念発起で目地修理のうえに奇麗に掃除したお風呂場は、目地のカビもほとんどなくなりました。この状態を維持しようとほぼ毎日お風呂の後は、特に洗い場の回りにはシャワーで熱湯(給湯器で出せる50度~60度)掛けまわし、その後は吸込みの良いぞうきんで湿気や水気をできる限り取り払うことを続けています。
 スクレーパーまで持ち出す嫁さんのその様はなにやら修行僧のようですが、一念発起の掃除は別に、普段は特段の洗剤も使わず気持ちよさを保ち続けているのには、やや驚きさえあります。

 相変わらず、年賀状の取りかかりがキワキワになってきましたが、これで1年のアカはスッキリ落とせそう。今年も後数日。来年は干支も子(ね)に戻り、ようやく令和を迎えられる気分です。

それでは皆様、よい年をお過ごしください。

「春画と日本人」という映画を観てきました。

 2015年秋に東京にある永青文庫という私立博物館で、同名の展覧会が催されました。前代未聞の動員数を打ち出したこの展覧会は、ロンドンの大英博物館で成功を収めた春画展の巡回展として日本での開催を試みるのですが、題材である春画を巡り関係者・スポンサーの理解・許可をなかなか得られず、ようやく開催にこぎ着けるまで奔走した方々の苦労や葛藤を映し出しています。

 今では美術品として認められている春画でありますが、本屋で無修正の春画本を拡げるのはなかなか勇気のいるものです。実際に見ると、滑稽とも思えるなんとも言えぬ露な姿が描き出されているのをご存知な方は多いはず。
 今やネットでは、春画どころでない露なお姿が有象無象に映し出されているに関わらず、公的に春画を美術・風俗の資料としても展示を許さない日本人・日本社会の不可思議な<忖度?>構造に疑問を投げ掛けるドキュメンタリー映画です。

 個人的には、見たことない春画の名作そのものや、まつわる変遷遍歴をかい摘みでももう少し紹介してもらいたかったのですが、どちらか言えば展覧会の奔走劇が中心でやや物足りない感じで映画は終わってしまいました。

 映画を観つつ。。。普段の生活・習慣のなかにも、目に見えない束縛や忖度が漂っているのだろうな。自分の中にもそうした何かがあり、思考や創作の邪魔になっていることもあるのでしょう。それに気付き打ち破るのはなかなか困難です。周りに影響されない感受性を身に付けるのは至難の業。と少しずれた事を考えておりました。

文化記録映画『春画と日本人』

今のスポーツってなんだか凄い。

 今月の初めごろラグビーワールドカップを花園ラグビー場まで観に行ってきました。ジョージア対フィジー戦。偶然にもチケットを頂く機会に恵まれ、何十年か振りのラグビー観戦を楽しむことが出来ました。

 駅前から続く会場までの行列には外人さんも混じり、駅前で入っためし屋ではラグビーの話題を持ちかけられ、試合観戦だけでないワールドカップならではの雰囲気にすっぽり包まれました。雨降りの中、ポンチョを被りながらの観戦でしたが、試合はテンポよく攻守入り乱れ、フィジー選手の華麗な球さばきはまるでハンドボールでもしているかのよう、思わずうなり見入ってしまいました。

 そして、日本がベスト8で敗退してしまい残念なところですが、今回の日本チームの躍進は驚きを超えて感動さえもらえました。

 ただ久しぶりにラグビーを続けて観はじめて、昔に比べ試合のスピード感がすごく増していると感じます。きっと選手の体力技量も上がり、試合が面白くなるようにルール改正も年々繰り返された結果です。

 それは他のスポーツでも同じく感じます。今ならバレーやら卓球やら、いろいろなスポーツがひと昔とは全く違う。スター選手をテレビで観ていると、必殺技を繰り出すゲームキャラクターのごとく、まるで異次元な感じがします。

 これらはやはりスポーツ科学があってからなのでしょうか。選ばれたエリートの科学的トレーニングに科学的ゲーム戦略モロモロ。今も努力と根性で成り上がる人はもちろんいるでしょうが、とてもそういう時代では無いのでは?とも感じてしまいます。科学が目を向けないスポーツはきっと生き残れないのでは?

 スポーツは得意でないので自分に置き換えられませんが、今のスポーツ選手を憧れにできる人は果たして一体どんな毎日を過ごしてるのだろう。。。とても気になります。呆気に取られる選手の一挙手一投足に、フィジカルもメンタルも足らないボクは漠然と不思議に思うのでした。