作家 木下昌輝 *「金剛組」木内繁男棟梁トークイベント

隆祥館書店トークイベント

大阪谷町にある本屋さん隆祥館書店のトークイベントを聴講してきました。

 初めて伺った隆祥館書店さんは、一見すると都会によく見かけるビル下の小さな本屋さんですが、下火な出版業界を危惧しこうしたトークイベントを4年ほど前から始めて、今ではその筋で人気の講座のようです。
 ビル横手にある小さなエレベーターで8階にある会場へ。
 小さな集会室にパイプ椅子がスシ詰めに並んでいるのがすぐ目に留まりました。下履きを入口で手渡されたビニール袋に詰込み、会場へ促されれば余裕無く並んだ椅子に座り込むしかありません。背中のリュックを身体を捻りながら前に持ち直し、手元の荷物を整理し終わった時には、もうそこから出られそうにない雰囲気。
 今回、小説家木下昌輝さんが「金剛の塔」を上梓された記念イベントとのことですが、実は木下さんの小説を読んだことがないどころか、お名前も知らずに会場に来ました。このイベントをヨメさんから伝え聞き、「金剛組」木内繁男棟梁の話を聞けそうなので足を運びました。お二人共に人気なのでしょうか、客席はスゴイ人口密度に熱気やなにやらムンムン、明らかに換気不足な感じ。今ここで何かが起ころうものなら一巻の終わりだな〜なんて思っている内、講座がスタートしました。

 トーク全体の構成は、木下昌輝さんの「金剛の塔」についてと言うよりも、そのモチーフとなった建設会社「金剛組」について、五重の塔の建設現場や職人についてのお話を木内繁男棟梁から伺うのが中心でした。
 「金剛組」は、聖徳太子の時代から継がれてきた1400年の伝統をもつ寺社物件中心の建設会社です。さらに8組ほどに分かれ、総勢100人ほどの宮大工が在職されているのだとか。普段接する建設現場とは、まったく違う世界がありそうです。

 渋めな声で気さくに話しをされる木内棟梁ですが、語り始めの話が個人的には面白かったかもしれません。
 職人世界で「技を見て盗め」とよく言いますが、具体的には「掃除に廻れ」と若い職人に言うのだそう。その心は、箒とちり取りを持って廻れば邪険にされず、近くに寄って熟練の仕事の様子を見ることが出来ると言うのです。なので、掃除が行き届きすぎる弟子を見ると、(仕事を盗めてないから) コイツぁ伸びないかな〜と思うのだそう。まじめすぎてもダメな訳で、要領良く立ち回れなければ技も盗めないということですね。掃除がまったく出来てないのも困りモンですが。。。
 技術が卓越していることも大事ですが、棟梁は多人数の大工を束ねる頭ですから、いかに人を配分するかも気を使うのだそうです。若い時分にはそんな事かまわずひとり技を磨くことだけに集中するものですが、現場全体を束ねるとなると折り合いの悪い大工集を組にすると仕事が進まなかったり、良い仕事ができない。人事なことにも悩むようにもなって、イロイロ気付かされたそうです。

 作家の木下さんが「金剛組」の取材をしたなかでも、記憶に残る家系図の話をされました。
 「金剛組」は、飛鳥時代初代金剛重光から始まり、数々苦難はありつつも金剛家一族で受け継がれながら現代までつづきます。その家系図を見て木下さんが驚いたのは、必ずしも長男が受け継ぐのではない組織であったこと。あくまで技術の継承を念頭に、技巧が足らなければ長男が跡を継ぐことはできなかった。親戚一同の中で長となる適任者を常に頭に据えながら、時代を超え寺社建築の技術を守り通して来たのだそうです。今で言えば能力主義なのでしょうが、それを聞くだけで波乱の多い歴史を持つだろうことは想像できそうです。

 その他、大工仕事の技術的な話をはじめ、法然寺(高松)に建設された五重塔の建築中写真のスライド紹介や、持参いただいた継手模型を説明いただいたり、短い時間にイロイロなお話を伺うことができました。
 建築工事は想像されるよりもシビアな世界です。木材が沢山積まれた様子を見ると、ひとつやふたつ余裕があるものと思われそうですが、高い材料になればなるほど、適正に拾い出し必要数しか現場に届きません。失敗すれば、やり直しの材料は工務店の持ち出しです。
 そんななかで後継を育てるためには、若い衆に高価な材料の墨付けや加工を任せることがあります。たかが木材と思い気や、ひと度間違えるとウン百万って材料が使い物にならなくなる時もあるのです。ヒヤヒヤしながら弟子の手元を見ていると、棟梁は夜も寝られなくなりそうです。木内棟梁の工場にも、実はそんな材料が眠っているのだけど、なかなか使い回しができないのですよ。と笑いながら頭を掻かれている様子に笑えるようで笑えません。

 さて、この続きに小説「金剛組」の感想など書ければ良いですが、それはまたの機会に。

見学会:聴竹居|藤井厚二

聴竹居

猛威を振るった台風21号のあと、聴竹居へ2回目の訪問。7年前に一度来ています。今回は竹中大工道具館のイベントの抽選に当たり嫁さんと再訪しました。7年前のブログを読み返すと、今回来て感じた事とと同じような感想を綴っていました。今回もまた特に下調べもせずの訪問ですが、同行のイベント参加者が少なめであったこともあり、案内の方の解説をゆっくり聞けたことは良かったです。

改めての印象第一は、聴竹居は見かけ以上に贅をつくした建築ということです。設計者・藤井厚二の自邸としてなんと5つ目の建築。気に入った宮大工さんと建築工事を進めたとの話。甚だ羨ましいかぎり。

建物としては、空間的立体的な繋がりよりも一面的でグラフィカルな表現を強く感じます。歩きながら空間を楽しむと言うよりも、ポイントポイントから見るビジュアルを強く意識されているのでしょうか、敢えて言い換えると平面的な印象がします。
藤井氏は当時のイギリスの建築家マッキントッシュに強く影響を受けたのでは無いかと解説を頂きました。時代は違いますが、絵画で言えばモンドリアンなど幾何的な構成表現に趣向があったのだと感じます。
氏の設計図に加え、やや神経質にも見える緻密に描き込んだスケッチブックを拝見すると、建物に受けた印象をさらに納得する気がしました。

藤井氏は環境工学が専門であったことで、聴竹居は光や風を上手に取り込んだ設計により画期的なパッシブ住宅として紹介されることも多いのですが、一方で贅沢な設備設計が為されています。当時としては珍しい電気冷蔵庫を海外から輸入して調理室に設置したり、照明器具も自身の意匠によりふんだんに製作されています。子供部屋の造り付け勉強机には、子供一人一人の場所にコンセントも用意してありました。調理室の一画に、随分な大きさの分電盤が設置されていました。
当時は電気を使いすぎると近隣に呆れられていたこともあったよう。そんなわけで省エネ住宅では無いですね。と解説いだだき、見学者一行の笑いも漏れました。

現代に見ると違った側面はありますが、和洋を問わず良いと思ったことを取り入れる藤井厚二氏の思想に支えられ完成した聴竹居は、今も保存を望まれる現代住宅の原形のひとつに違いありません。今なお学ぶべきことも多くあります。
今年6月に起きた大阪府北部地震によって、外壁に亀裂が入り、当時の窓ガラス一部が割れるなど被害を受けました。保存会の方々の手によって、修復の計画も進められているそうです。

講演会「幼児期における探求的・協同的な学び」

神戸親和女子大学で開催された第13回国際教育フォーラム「幼児期における探求的・協同的な学び〜レッジョ・エミリアとデューイ・スクールに学ぶ〜」の聴講に行きました。

保育所の設計をいくつかさせて頂けるようになったものの、実は幼児教育という世界がほとんど分かっていない。教育法的な話しはもちろん出てくるので折りに触れ関心は持つものの、なかなか踏み込めないのが正直なところ。そんなところで、今関わっている保育所(こどもなーと)の和泉先生からの誘いで今回の講演会を聴きに行ってきたところです。

レッジョ・エミリアとは、イタリアの地方都市の名前。このレッジョ・エミリア市が市予算の15%をも拠出しながら推し進めている幼児教育システムが、世界各国から注目を浴びています。
前知識だけだとアートを主体にし子供たちの可能性を引き出す幼児教育という理解でしたが、話しを聴くうちに、本質的にはそういうことではないのだと思いました。アート的な教育活動の実践はもちろん常に行われていますが、情操教育というような範疇とは別物です。アート活動はあくまで教育ツールのひとつに過ぎず、子供たちそれぞれのコミュニケーション能力を高め、協調しながらのディスカッション能力も高めるための手段として活用されているのです。
上手な絵が描けるようになるため、上手に楽器が演奏できるようになるため、と言った結果でなく過程が重要視されます。また子供自身が持つ目標を達成するために、現場の先生は共に考え、時には手を差し伸べるのです。幼児教育の現場には一見不相応な、本格的な道具も惜しみません。

今回の講演を聞きながら、以前観た、映画『ちいさな哲学者たち』を思い出しました。フランスの公立幼稚園で行われた、先生が園児達と哲学のディスカッションを2年間に渡って行う革新的な教育プログラムを追ったドキュメンタリー映画です。
方法こそ違えど、根っこのところは同じ思想のもとに行われている教育実践と感じました。お国柄の違いと言ってしまうのは安直ですが、子供たち自身から沸き起こる自立、探求、協調といった能力を引き出す過程にどちらも変わらないものと感じます。

講演なかの興味が湧いた話しのひとつに、子供たちと「カエル」に関する本を作るプロジェクトにおいて、取り掛かる前(初期?)に街の本屋さんに本が出来上がったら書店に並べてほしいと交渉を、子供たち自身にさせるという下りです。
交渉成立し子供たちのモチベーションも上がります。中学生の社会参加なら身近にも想像できるのですが、小学生に満たない園児たちにも社会との接点を躊躇なく持たせるのです。レッジョ・エミリアでは、大人も子供も隔てなく全員が社会の一員であると考える前提があるからです。
こうした取り組みが、街ぐるみに子供の教育に関心をもたせる仕掛けにも変わります。

ナニナニ教育法という括りとは一線を引くレッジョ・エミリア・アプローチはとても新鮮なものでした。
「自由とは、ディスカッションをするということ」
子供たちに、自由とは何か?。と問いかけた時の一園児の答えです。

レッジョ・エミリアから来られたお二人の先生の講演の他、近しい幼児教育をされている元カナダトロント大学付属幼稚園の園長先生の講演、こどもなーと保育園和泉先生の講演を伺いました。
どのお話も興味深く貴重な話しであっただけに、保育所設計アプローチにはもっと勉強が必要だな。。。と痛感します。