セミナー「江戸時代の大工さん」- 大工頭中井家と大工組 –

江戸時代の作事願書
昔の確認申請書。墨の印鑑がなにやら恰好良い。

 大阪くらしの今昔館館長・谷直樹先生の講座を聴きに行きました。

 江戸時代に活躍する中井家という大工頭の系譜や実績を1時間半、憶える間がないほど次々と紹介された濃密な講義でした。スライドも盛り沢山、興味深い話もいっぱい聴けたのですが、情報量の多さにナニがナンだったか既に分からなくなってます。(笑)
 なんとか思い出せるところをいくつか。。。

 まず中井大和守(やまとのかみ)初代・正清という人物。徳川家康に抱えられ二条城・江戸城・名古屋城など名だたるお城を次々と建てた大工棟梁の親分です。そして、十万石大名と肩を並べる従四位下と言う役職を授かっていた事は、大工という職業人では前代未聞。
 時代も時代、城郭を建てるにはスピードと技術が必要、ひと声掛ければ全国のスゴ腕大工を集められる、今で言えば大工協会会長?です。話によれば、急を要した名古屋城の天守閣は、集めた大工で3ヶ月の突貫工事で建てたのだとか。現代ではそこまで技術ある大工さんが揃わないので、1年や2年間違いなく掛かるそうです。もし建てられなかったら打ち首になったのかもしれませんが、想像するだけでも驚愕な話です。

 その後も繁栄続く中井家は、お城だけでなく寺社仏閣・御殿も次々仕事をこなします。数もあるだけ技術も上がりゼネコンさながら、日本の文化遺産の多くは中井家無しにあり得ません。またそうした仕事の資料が今の中井家に数多く残され、それらを読み解くことで歴史も辿れます。いわゆる施工図が残っているので、それを頼りに史跡を探ることも度々。そこから新たな歴史の解釈もあり得る訳です。
 建築士に身近なところでは、江戸時代の作事願書(今で言う確認申請書)の実物を拝見しました。当時の贅沢禁止令から庶民は必要以上に大きな建物を建てさせない規制がありましたが、そうした規制から逃れたどうみてもサイズオーバーな違反建築も資料から推測できるとか。

 他に面白いところで、渡来した象を将軍さんが見物するときの設営図とか。(余談では、その後の像のエサ代が偉いことになっていたそうです。)。。。などなど、谷先生は話が尽きない様子でした。

 講義最後にオマケ話もいただきました。谷先生はNHKドラマなどの風俗考証などもされているそうです。今、放送中の「スカーレット」も。
 ドラマに現れる街の風景には、突き当りのT字路セットが多く観られる筈。普通の十字路交差点では、ずっと先までセットを作るのが大変だからです。江戸の風景には本来T字路は少ないはずなのだけど、もろもろ諸事情から。。。
 ほ~、なるほどなるほど。

展覧会「大工さん展」と「建築と社会の年代記」

建築と社会の年代記―竹中工務店400年の歩み―神戸市立博物館

 ようやく冬らしい寒さになり、ほんのチラっとですが、この冬はじめて雪を見ました。寒空の中、大工さんと竹中工務店にまつわる展覧会を観てきました。

 まずは、竹中大工道具館で開催中の「大工さん展」近世の職人文化とその伝統。

 解説の中に書かれていたことですが、特に関わりの無い方でも何気ない会話の中に「大工さん」とさん付けで呼ぶ習慣があります。なぜか親しみ深い。映画やドラマの時代劇には、必ずと言ってよいほど「大工さん」が現れます。登場人物としては外せない職業。展示に紹介もありましたが、落語には人情もろい大工さんが沢山出ているような気がします。
 昔々から建築工事は日常茶飯事な身近なもの。それだけ就労人口も多く、当たり前にある職業のひとつに感じていたのだと思います。しかし今は3Kやら言われて大工さんが減っているのが実情ですし、出来上がりのマイホームに移り住むだけで工事過程を覗くこともない施主さんも増えているでしょう。親しみを込めて呼んでいた「大工さん」は、だんだんと過去のものになりそうな気もします。

 その足で、神戸市博物館で開催中の「建築と社会の年代記」 竹中工務店400年の歩み  も観覧に。

 竹中工務店と聞くと、ゼネコンの一社ぐらいだけに思っている方も多いのではないでしょうか? 建築に携わらなければ、私もその一人。ですが建築士を目指す学生時分は、建築家を多数輩出している竹中工務店の設計部は憧れの一つ。才覚あるなら行きたいぐらいに思うのは当然でした。
 展覧会の見出しにもありますが、竹中工務店は400年の歴史になるそうです。明治の終わり頃に、工匠・竹中藤右衛門が神戸の地に創立、とあります。町の工務店の一つだった訳です。当初から施工技術だけでなく、建築意匠にも拘る社風があり、今では建築界のエリート集団なイメージさえもあります。
 展覧会は400年を一堂に会するとさすがエライ物量です。じっくり見たわけでもないのに3時間近く費やしました。厳選し展示された昔の青焼き図面が美しく、手書き図面の設計者の苦労が偲ばれます。これらは氷山の一角。このとんでもない資料群を保管するだけでエライ事になりそうです。とは言え何もかもがコンピュータになり、モニタに映されるCAD図面で展示が済まされるようになると、間違いなく寂しさを憶えてしまうだけでなく、そこに人が介在していることさえ気付かなくなりそうです。

 ふたつ展覧会を観ながら、「大工さん」に及ばずとも「設計屋さん」を知ってもらい、さらに過去のものにしない為には、今をもうちっと頑張らんとアカン気がしました。

竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統
竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統
竹中大工道具館 | 大工さん展近世の職人文化とその伝統

展覧会・講演会「木組」

竹中大工道具館「木組 分解してみました」

 竹中大工道具館での展覧会「木組 分解してみました」を観て、当日開催された講演会「木組とはなにか」を聴いてきました。

 会場にあった木組の展示は、今でも一般的な木造建築に使われる継手・仕口はもちろんですが、これまで見たことがない面白いものも展示されていました。また、ギタードと呼ばれるフランスに伝わる曲面3次元な木組みや、伝統工芸に見られる指物、組子などがあり、大きなもの小さなものが並列に展示されているのが印象的でした。
 神戸ではあと半月程ですが、お近くの人はぜひ足を運ばれてはいかがでしょう。個人的に、今回のカタログは小粋で内容も備わりお買い得な感じがしています。
 講演会の時間が迫り、観賞そこそこに会場を離れてしまったのは残念。

 お昼からの講演会は、大工の阿保昭則氏、指物の須田賢司氏、組子の横田栄一氏の三者と、大阪くらしの今昔館館長・谷直樹氏の司会進行で進められました。まずはそれぞれお仕事の話、その後はインタビュー的な構成です。
 木組みをテーマにどんな話しになるのか。それぞれのお話はとても興味深いものでしたが噛みあうような噛みあわないような不思議な印象、残念ながら木組みのようには行きませんでしが味わい深く、2時間を超える講演は足らないぐらいに思えました。

 講演最後の辺り、図面を重視されますか? 現代技術・伝統のどちらを重んじますか? 谷氏からの問いかけに対し、
 大工・阿保氏は、建築は全体の納まりがあるので図面があくまで基本、伝承には間違いも多いので経験上伝統はあまり重視しない。
 指物・須田氏は図面は当たりぐらいにしかなく、木工の歴史はまだ浅いのですが伝統を重視しています。
 組子・横田氏に至っては図面はほとんどありません。どちらか言えば伝統を大事にしたい。
 と言ったくだりは、それぞれにお仕事の内容にもよるのでしょうが、基本的な考え方の違いが見える面白いところでした。

 展覧会を思い返しそれぞれの展示品を図面化するなど、実のところ、とてつもなく途方もない事に思えてきます。これらの物・技が見よう見まねだけで伝わるものとも思えず、人はそこに一体なにを求めているのか、必ずしも必要だけで生まれた訳ではない不思議な世界がそこにはあります。

竹中大工道具館「木組 分解してみました」

開館35周年記念巡回展「木組 分解してみました」https://www.dougukan.jp/kigumi/
阿保昭則氏(耕木社)http://www.koubokusha.co.jp
須田賢司氏(木工藝)https://www.mokkougei.com
横田栄一氏(栄建具工芸)/NHK長野「わがまちの手仕事」https://www.nhk.or.jp/nagano/teshigoto/100311.html
 /しげの家から行く長野の旅 http://www.shigenoya.co.jp/stay/yokota/

作家 木下昌輝 *「金剛組」の木内繁男棟梁トークイベント

隆祥館書店トークイベント

大阪谷町にある本屋さん隆祥館書店のトークイベントを聴講してきました。

 初めて伺った隆祥館書店さんは、一見すると都会によく見かけるビル下の小さな本屋さんですが、下火な出版業界を危惧しこうしたトークイベントを4年ほど前から始めて、今ではその筋で人気の講座のようです。
 ビル横手にある小さなエレベーターで8階にある会場へ。
 小さな集会室にパイプ椅子がスシ詰めに並んでいるのがすぐ目に留まりました。下履きを入口で手渡されたビニール袋に詰込み、会場へ促されれば余裕無く並んだ椅子に座り込むしかありません。背中のリュックを身体を捻りながら前に持ち直し、手元の荷物を整理し終わった時には、もうそこから出られそうにない雰囲気。
 今回、小説家木下昌輝さんが「金剛の塔」を上梓された記念イベントとのことですが、実は木下さんの小説を読んだことがないどころか、お名前も知らずに会場に来ました。このイベントをヨメさんから伝え聞き、「金剛組」木内繁男棟梁の話を聞けそうなので足を運びました。お二人共に人気なのでしょうか、客席はスゴイ人口密度に熱気やなにやらムンムン、明らかに換気不足な感じ。今ここで何かが起ころうものなら一巻の終わりだな〜なんて思っている内、講座がスタートしました。

 トーク全体の構成は、木下昌輝さんの「金剛の塔」についてと言うよりも、そのモチーフとなった建設会社「金剛組」について、五重の塔の建設現場や職人についてのお話を木内繁男棟梁から伺うのが中心でした。
 「金剛組」は、聖徳太子の時代から継がれてきた1400年の伝統をもつ寺社物件中心の建設会社です。さらに8組ほどに分かれ、総勢100人ほどの宮大工が在職されているのだとか。普段接する建設現場とは、まったく違う世界がありそうです。

 渋めな声で気さくに話しをされる木内棟梁ですが、語り始めの話が個人的には面白かったかもしれません。
 職人世界で「技を見て盗め」とよく言いますが、具体的には「掃除に廻れ」と若い職人に言うのだそう。その心は、箒とちり取りを持って廻れば邪険にされず、近くに寄って熟練の仕事の様子を見ることが出来ると言うのです。なので、掃除が行き届きすぎる弟子を見ると、(仕事を盗めてないから) コイツぁ伸びないかな〜と思うのだそう。まじめすぎてもダメな訳で、要領良く立ち回れなければ技も盗めないということですね。掃除がまったく出来てないのも困りモンですが。。。
 技術が卓越していることも大事ですが、棟梁は多人数の大工を束ねる頭ですから、いかに人を配分するかも気を使うのだそうです。若い時分にはそんな事かまわずひとり技を磨くことだけに集中するものですが、現場全体を束ねるとなると折り合いの悪い大工集を組にすると仕事が進まなかったり、良い仕事ができない。人事なことにも悩むようにもなって、イロイロ気付かされたそうです。

 作家の木下さんが「金剛組」の取材をしたなかでも、記憶に残る家系図の話をされました。
 「金剛組」は、飛鳥時代初代金剛重光から始まり、数々苦難はありつつも金剛家一族で受け継がれながら現代までつづきます。その家系図を見て木下さんが驚いたのは、必ずしも長男が受け継ぐのではない組織であったこと。あくまで技術の継承を念頭に、技巧が足らなければ長男が跡を継ぐことはできなかった。親戚一同の中で長となる適任者を常に頭に据えながら、時代を超え寺社建築の技術を守り通して来たのだそうです。今で言えば能力主義なのでしょうが、それを聞くだけで波乱の多い歴史を持つだろうことは想像できそうです。

 その他、大工仕事の技術的な話をはじめ、法然寺(高松)に建設された五重塔の建築中写真のスライド紹介や、持参いただいた継手模型を説明いただいたり、短い時間にイロイロなお話を伺うことができました。
 建築工事は想像されるよりもシビアな世界です。木材が沢山積まれた様子を見ると、ひとつやふたつ余裕があるものと思われそうですが、高い材料になればなるほど、適正に拾い出し必要数しか現場に届きません。失敗すれば、やり直しの材料は工務店の持ち出しです。
 そんななかで後継を育てるためには、若い衆に高価な材料の墨付けや加工を任せることがあります。たかが木材と思い気や、ひと度間違えるとウン百万って材料が使い物にならなくなる時もあるのです。ヒヤヒヤしながら弟子の手元を見ていると、棟梁は夜も寝られなくなりそうです。木内棟梁の工場にも、実はそんな材料が眠っているのだけど、なかなか使い回しができないのですよ。と笑いながら頭を掻かれている様子に笑えるようで笑えません。

 さて、この続きに小説「金剛組」の感想など書ければ良いですが、それはまたの機会に。

見学会:聴竹居|藤井厚二

聴竹居

猛威を振るった台風21号のあと、聴竹居へ2回目の訪問。7年前に一度来ています。今回は竹中大工道具館のイベントの抽選に当たり嫁さんと再訪しました。7年前のブログを読み返すと、今回来て感じた事とと同じような感想を綴っていました。今回もまた特に下調べもせずの訪問ですが、同行のイベント参加者が少なめであったこともあり、案内の方の解説をゆっくり聞けたことは良かったです。

改めての印象第一は、聴竹居は見かけ以上に贅をつくした建築ということです。設計者・藤井厚二の自邸としてなんと5つ目の建築。気に入った宮大工さんと建築工事を進めたとの話。甚だ羨ましいかぎり。

建物としては、空間的立体的な繋がりよりも一面的でグラフィカルな表現を強く感じます。歩きながら空間を楽しむと言うよりも、ポイントポイントから見るビジュアルを強く意識されているのでしょうか、敢えて言い換えると平面的な印象がします。
藤井氏は当時のイギリスの建築家マッキントッシュに強く影響を受けたのでは無いかと解説を頂きました。時代は違いますが、絵画で言えばモンドリアンなど幾何的な構成表現に趣向があったのだと感じます。
氏の設計図に加え、やや神経質にも見える緻密に描き込んだスケッチブックを拝見すると、建物に受けた印象をさらに納得する気がしました。

藤井氏は環境工学が専門であったことで、聴竹居は光や風を上手に取り込んだ設計により画期的なパッシブ住宅として紹介されることも多いのですが、一方で贅沢な設備設計が為されています。当時としては珍しい電気冷蔵庫を海外から輸入して調理室に設置したり、照明器具も自身の意匠によりふんだんに製作されています。子供部屋の造り付け勉強机には、子供一人一人の場所にコンセントも用意してありました。調理室の一画に、随分な大きさの分電盤が設置されていました。
当時は電気を使いすぎると近隣に呆れられていたこともあったよう。そんなわけで省エネ住宅では無いですね。と解説いだだき、見学者一行の笑いも漏れました。

現代に見ると違った側面はありますが、和洋を問わず良いと思ったことを取り入れる藤井厚二氏の思想に支えられ完成した聴竹居は、今も保存を望まれる現代住宅の原形のひとつに違いありません。今なお学ぶべきことも多くあります。
今年6月に起きた大阪府北部地震によって、外壁に亀裂が入り、当時の窓ガラス一部が割れるなど被害を受けました。保存会の方々の手によって、修復の計画も進められているそうです。

講演会「幼児期における探求的・協同的な学び」

神戸親和女子大学で開催された第13回国際教育フォーラム「幼児期における探求的・協同的な学び〜レッジョ・エミリアとデューイ・スクールに学ぶ〜」の聴講に行きました。

保育所の設計をいくつかさせて頂けるようになったものの、実は幼児教育という世界がほとんど分かっていない。教育法的な話しはもちろん出てくるので折りに触れ関心は持つものの、なかなか踏み込めないのが正直なところ。そんなところで、今関わっている保育所(こどもなーと)の和泉先生からの誘いで今回の講演会を聴きに行ってきたところです。

レッジョ・エミリアとは、イタリアの地方都市の名前。このレッジョ・エミリア市が市予算の15%をも拠出しながら推し進めている幼児教育システムが、世界各国から注目を浴びています。
前知識だけだとアートを主体にし子供たちの可能性を引き出す幼児教育という理解でしたが、話しを聴くうちに、本質的にはそういうことではないのだと思いました。アート的な教育活動の実践はもちろん常に行われていますが、情操教育というような範疇とは別物です。アート活動はあくまで教育ツールのひとつに過ぎず、子供たちそれぞれのコミュニケーション能力を高め、協調しながらのディスカッション能力も高めるための手段として活用されているのです。
上手な絵が描けるようになるため、上手に楽器が演奏できるようになるため、と言った結果でなく過程が重要視されます。また子供自身が持つ目標を達成するために、現場の先生は共に考え、時には手を差し伸べるのです。幼児教育の現場には一見不相応な、本格的な道具も惜しみません。

今回の講演を聞きながら、以前観た、映画『ちいさな哲学者たち』を思い出しました。フランスの公立幼稚園で行われた、先生が園児達と哲学のディスカッションを2年間に渡って行う革新的な教育プログラムを追ったドキュメンタリー映画です。
方法こそ違えど、根っこのところは同じ思想のもとに行われている教育実践と感じました。お国柄の違いと言ってしまうのは安直ですが、子供たち自身から沸き起こる自立、探求、協調といった能力を引き出す過程にどちらも変わらないものと感じます。

講演なかの興味が湧いた話しのひとつに、子供たちと「カエル」に関する本を作るプロジェクトにおいて、取り掛かる前(初期?)に街の本屋さんに本が出来上がったら書店に並べてほしいと交渉を、子供たち自身にさせるという下りです。
交渉成立し子供たちのモチベーションも上がります。中学生の社会参加なら身近にも想像できるのですが、小学生に満たない園児たちにも社会との接点を躊躇なく持たせるのです。レッジョ・エミリアでは、大人も子供も隔てなく全員が社会の一員であると考える前提があるからです。
こうした取り組みが、街ぐるみに子供の教育に関心をもたせる仕掛けにも変わります。

ナニナニ教育法という括りとは一線を引くレッジョ・エミリア・アプローチはとても新鮮なものでした。
「自由とは、ディスカッションをするということ」
子供たちに、自由とは何か?。と問いかけた時の一園児の答えです。

レッジョ・エミリアから来られたお二人の先生の講演の他、近しい幼児教育をされている元カナダトロント大学付属幼稚園の園長先生の講演、こどもなーと保育園和泉先生の講演を伺いました。
どのお話も興味深く貴重な話しであっただけに、保育所設計アプローチにはもっと勉強が必要だな。。。と痛感します。

セミナー「刃痕から大工道具の歴史を探る」

先日、昔の木造建造物の部材に殘る刃物の痕跡から当時使われた道具や年代を調査されている学芸員さんの話を、竹中大工道具館で開催のセミナーで拝聴しました。

斧 オノ、鑿 ノミ、鋸 ノコ、鉋 カンナ。木を切ったり削ったりする刃痕(ジンコン、ハアト)は、それぞれの発達具合や過程で殘る形が違うのは頷ける話。絵巻物などの古文書に殘る建築現場の様子も参考に、どんな姿勢でどんな風に使われたのかを想像するのは、ちょっと楽しそうです。
簡単に想像できるものもあれば、併用されて複合的に考えないと謎解けないものもあるでしょう。いくら考えても分からないものもあるようです。

学芸員さんは、お堂の屋根修復現場で携わった野地板の調査の際、時代を経て幾度か修理されている経緯を野地板に残る刃痕から読み取ることができたのが面白く、研究を始めたきっかけになったそうです。そうした刃痕を追いかけて修復現場、発掘現場に出向き、写真や摺本(乾式拓本)を整理し、まつわる文献を読み解いた最近の調査事例をいくつか紹介していただきました。お話は、建築道具を通しながら昔の人々の営みを夢想されているかのようでした。

一方、今の建築ではどんな痕が残るのだろうか?と考えてしまいます。

調査の話は、どうしても寺社仏閣のどちらか言えば立派な木造建物が主ですが、多少の差こそあれ当時の一般建築に使われていたものと大差ないように思われます。
しかし、現代の一般建物はとなると、機械化されたプレカットの痕?、電動工具の痕?、でしょうか。そもそも簡略化されていく工事に人の手の痕さえ残りません。そうして考え始めるとちょっと寂しいものがあります。

刃痕の話から逸れますが、熊本地震によって崩れた熊本城の石積み修復の話をテレビで観ました。修復前の調査によって、築城当初の古い石積み「武者返し」には被害が少なく、戦争などその後の修復工事を施した石積みの箇所がむしろ脆いことが分かったそうです。熊本城の「武者返し」は当時の地震対策を加藤清正が経験を積んで完成させた技術であったということが、とても興味深いものに思えます。

刃痕をさらに掘り下げれば、先人の知恵が思わぬところに隠されているようにさえ思えます。脈々と培われて来た技術が、経済性に追いやられず、現代の建築現場の道具や工法にしっかり取り入れられていくことを望みたいと思います。

また、熊本城の修復をする建設会社の技術はスゴイものと同時に感じます。現代建築の技術にはとてつもなくスゴイものも数多くあります。こうした技術がいずれ、先人の知恵のひとつとして残っていくのかもしれません。ただこうした技術は人肌から遠く離れた感覚があります。もっと身近に感じられる知恵の伝承も増えれば、住まいや暮らしを豊かに感じるようになれると思えます。

セミナー「墨壺のかたち」

「墨壺のかたち」
「墨壺のかたち」

墨壺〜スミツボ〜と言えば、大工さんが材木に線を引くための道具ですが、墨の入ったもっこり太っちょおたまの様な独特な形に、柄の所には糸車のついたもの。中には、精巧な彫り物が施されて黒々とした鈍い光沢の質感を主張しながら、倒かさないように注意を払われ大工さんの手元に鎮座している。そんな様子をどことなく想像します。
ところが実際、現場で黒い墨壺が置かれた様子を見たのはいつ頃までだったろうか?
今頃見る墨壺は形に名残こそあるが、赤や青色のプラスチック製ケースになったコンパクトなもの。さらにはホルダー付きになって腰のベルトにぶら下げている。

そんな「墨壺のかたち」の変遷について、竹中大工道具館のセミナーを拝聴してきました。

「墨壺のかたち」
「墨壺のかたち」

まず最初に、前文の間違い。墨壺に添えられる墨糸を使う時、墨を「打つ」と言います。墨を含ませた糸をピンと張り、糸の行方と長い材木を睨みながらパシッと墨を打つと、スッとした線が材木の表面に転写されます。なにやら神聖な儀式にも見える大工さんの基本作業です。
こうした基本作業自体は記録に残されるずっと前からもちろんあり、当初は糸でなく「墨縄」であったようです。細かな大工仕事に使われ始める前に、製材の際に丸太を角材に加工する工程に使われはじめたのが道具としてのスタートのよう。今の様な形の墨壺として、遺跡の出土品や記録に残るようになるのは7~8世紀ごろから。発祥はおそらく中国と思われますが、全く記録が無いそうで定かでありません。

世界各国それぞれに墨壺はあるのですが、セミナーでの話の様子では、中国を中心としたアジア圏の方がヨーロッパ圏やアメリカ圏よりも道具としての発展は進んだようです。欧米やアジア奥地などでは墨壺と糸巻が別々の分離型が多く、墨壺と糸巻がひとつになった一体型の分布状況を調べると大工技術の流れも見えてくるようです。
話が古く遡りますが、ピラミッドにも墨出しの跡が見られるそう。このころは、縄とオーカー(酸化鉄に粘土を混ぜた着色剤)が用いられていました。中国ではベンガラ(レッドオーカー)が着色剤として使われ始めました。ヨーロッパでは、チョーク。

そんな世界の墨壺の中でも、日本は独特の発展があったようです。装飾を施された墨壺や洗練された形の墨壺が他の地域で無いわけではありませんが、こだわりの墨壺は他に類を見ない発展がありました。墨壺を専門に作る職人が発生したのは、意外と新しい時代。明治中頃に東京からスタートしたようです(東京墨壺職)。その墨壺職人が新潟三条に移り住んだ明治後期から、雪に埋もれる冬季の屋内作業として新潟の一大産業に発展(三条墨壺職)。
壺豊、成孝、一文字正兼と言った名人と呼ばれる人も現れます。各名人の作風は、精緻な彫刻であったり、端正な姿であったり、それぞれの特徴がありました。ついには実用を超えた巨大墨壺まで作られました。また東京・新潟以外の地域でのそれぞれの発展や、左官業や造船業など職種に合わせたバリエーションも生まれました。コレクターも現れます。
戦後復興の木造建築の大量生産に伴って大きく発展をした墨壺産業でしたが、昭和40年代から、プラスチック製品(特にポリエチレン製)の登場により一気に衰退へと転じます。そして、現代に至っては、腰にもぶら下げられるコンパクト且つ高機能な工業製品へと発展しました。

セミナー会場には高齢の大工さんらしい受講者も多く見られますが、おそらくオマケ映像で流された現在売られている墨壺製品の紹介ビデオに、一番会場が湧いたことが何より印象的でした。コレクションとしてはともかく、道具と見れば利便性が追求された進化に違いありません。
一方発展の時代、道具としては高度な技術が要求されませんが、大工仕事の基本にもなる墨付けの道具に凝ってしまうのは、華やかしき時代では大工さんの粋の現れのひとつであったに違いなく、大工仕事に対する誇りの現れだったのでは?とも思えるのです。

会場に用意された幾つかの墨壺は格好良く、個人的にもコレクションしたくなります。粋な墨壺を抱えながら現場に入る大工さんの姿を見ることはもう恐らく無いのだと思うと、少しばかり寂しい気もしました。

 

セミナー「奥会津地方の建築儀礼と番匠巻物」

祈りのかたち – 知られざる建築儀式の世界 –(竹中大工道具館企画展2017.4.15~5.28)

近頃は、建築儀礼(地鎮祭や上棟式)が執り行われる様子に出くわすことが少なくなりました。まったく無い訳ではありませんが、自分が関わる物件でも必ず行われるものでなくなってしまったことはやはり寂しい気がします。

今日は久しぶりに「技と心セミナー」へ行きました。お茶の水女子大学教授・宮内貴久先生による「奥会津地方の建築儀礼と番匠巻物」。全国でも珍しい伝承的に行われる福島県奥会津地方での上棟式の様子と、そこにまつわる大工(この地方では「番匠」と呼ばれる)の師弟間に伝わる巻物伝授のお話でした。

この地方では、大工修行が終わり一人前にになると親方から弟子へ巻物が伝授されるのだそうです。巻物は一人前になった証のようなもので、例えが悪いですが、もし親方が事故でなくなり巻物伝授が受けられないとなると弟子たちは大騒ぎになるのだとか。是が非でも手に入れないと、自分たちの価値を失うかもしれない。そんな勢いのようです。
では、その大事な巻物に一体何が書かれているのか? 簡単に言ってしまうと大工の心得や技術書のようです。その中には儀礼のマニュアルもあります。なるほど大工さんにとってはバイブルなのかと思いきや、実はほとんど読まれることはなく、むしろ普段何もない時に決して開いてはならないものだとか。まるで呪物のような扱いで、不思議な伝承です。
また巻物が唯一使われる儀礼は上棟式だそうですが、ここでもようやく巻物を開きはするものの一文一句詠む訳でもないのだとか。。。ますます不思議。それでも普段、巻物は袱紗に包まれ桐箱に入れられ神棚に祀られているそう。上棟式となれば、どんなに現場が離れていようと棟梁自らが巻物を取りに帰るのだそうです。

宮内先生は、そうした巻物を大工さんのお宅へ一軒一軒廻り見せていただき、そのルーツを解き明かそうとされています。また他の地方に同じような伝承はないのか史料調査されています。

祈りのかたち – 知られざる建築儀式の世界 –(竹中大工道具館企画展2017.4.15~5.28)

そんな巻物の話の最後、驚きになったのは「まじないうた」のお話。
いくつかある歌の中でも、安寧な生活がいつまでも続くことを望む歌として「君が代」が普段から口ずさまれていた?そうです。スライドに映る巻物の写真にきっちり歌詞が書かれているのが読み取れます。「君が代」は平安時代の和歌。お祝いの歌、建物に思い馳せる歌として謳い継がれてきたという事は思いもよりませんでした。

講演の始めにありましたが、建築とは野生の空間に人が住めるように秩序立てること。家を建てるという事は子孫繁栄の基礎となること。そこに儀礼が生まれてきたのだそうです。なので、地鎮祭の後に板囲をし夫婦がそこで一夜を過ごし、自分たちの住む土地を獣に汚されないように守るということもされていたそうです。

施主さんの思いが宿る。そんな地鎮祭や上棟式をずっと続けて欲しいものです。

 


祈りのかたち – 知られざる建築儀式の世界 –(竹中大工道具館企画展2017.4.15~5.28)