TOYOTA Camatte 〜 未来の大人へのデザイン?

「東京おもちゃショー」でトヨタが発表した子供のが乗れる自動車が話題のようです。ネットで見つけて、こりゃかわいい。これ、乗りたいな。と素直に思った。で、併せて懐かしさを感じたのだけど、何故かと思えば、子供の頃にプラモで作ったドイツ軍の軍用車キューベルワーゲンとかにそっくりだからと納得した。そう考え始めるとなぜか不思議な感覚に捕われる。
子供の頃はなんにも考えずに軍事兵器に憧れをもって、プラモを買いあさった。全部作りきれる訳でなくでも、机上の棚につみ上がるプラモの箱を眺めて嬉々としていた。最近ならゲームにしかり、多くの男の子の軍事ものへの興味は今も変わらないだろうし、大人になった今の自分も実のところ嬉々としている。兵器ものの話に詳しい友人の話を、身をのりだして楽しんでしまう。これは、ウラ返せば平和って事なのだろうか。昔のことだと割り切れる自信は自分には無い。。。

もうひとつ思ったことは、なんとなく今の「デザイン」がみな懐古、回帰趣味に偏りすぎているように思えてしまうこと。デザインの流行が循環する事とも違うように思える。映画にしてもリメイク版が多いのとなんら変わらない。ネタ切れと言ってしまうと、同じようにものつくりをしている身としては辛いのだけど、自動車という一番未来を想起させるプロダクトには、次なるデザインを期待をしてしまっている。懐古趣味はマニアなところにとどめておいてほしい気がしてならない。単にあまのじゃくな自分は、右に習えが嫌なだけかもしれませんが。
言うは易しでも、未来の大人向けのデザインが、デザインのリサイクルでは寂しくはないだろうか。違う解答も併せ持っておいて欲しい気がする。

自分の事は棚に置いて書いておきながら、この「Camatte」が公道走れるなら、マジに考えてしまいそう。もはや意志薄弱。

 

「 Artree 」人にあげたくなるアプリ

artree

 

もう半年前になるが、iPod touch を「ポイント」を使ってただ気分で手に入れたのを皮切りに、iPad 2 と Macbook をほぼ同時に揃えた。ただ、CADを描いたりといった実務は PowerPC 旧マックのまま。要は、新しい Intel Mac を買ったもののCADソフトを新しく出来ないままでいる訳です。それでも iPad を手に入れて俄然仕事がしやすくなりました。図面のデータを入れて現場に出たり、カタログで製品を探したりするのもコンピュータをいちいち開くといった煩わしさがなく使えるだけで、どれだけ労働が軽減された事か。

昨日に友人が来てPC談義になった。その彼は Windows を使っているが、iPad を使い始めてその使い勝手の良さにMac に乗り換えようかどうか悩んでいる。データをやり取りする周囲の皆は無論 Windows で、なにを今更と冷たい視線らしい。ただ彼は、Windows であっても使っているソフトのアップグレードに高額を払うのも癪だし、こんな仕事してるんだから道具はカッコいいほうがイイに決まっている。と。

単純だけど、本当にそれは正しいと思う。それだけで、どことなくテンションもあがる。もちろん Mac にすればすべてが解決される訳でもなんでもなく道は険しい。あくまで道具だから、自分が使いやすいようにアプリを揃えたりカスタマイズするのが実は一番大変。でもそうすれば、それこそ iPad ひとつで仕事ができそうに思えてならないから、故スティーブ・ジョブズを本当にすごいと思える。

脈絡はないけど、つい最近見つけていれたアプリがお気に入り。人にプレゼントしたくなるアプリです。

ARTREE for iPhone & iPad – Hansol Huh

 

白熱電球への想い?

先日、夏の節電に白熱電球の販売・製造の自粛のニュースが流れて、仕方が無い事かもしれないが寂しい気持ちになられた方は多いのではないだろうか?。僕はその一人。
白熱灯好きの設計士は多いと思うのだが、その理由として一番は暖かみのある明かりの色ではないだろうか。電球型蛍光灯が現れて白熱灯を蛍光灯に切り替えてみても、食卓を照らす色具合はやはり今なお白熱灯の方が自然に見える(気がしている)。白熱灯は熱くなるので仕方なく電球色の蛍光灯にしてみても、どことなく料理が美味しそうに目に映らない。科学的に言ってみればスペクトルの加減なのだろうが、人工的に調整した蛍光灯のスペクトルは白熱灯にくらべるとデジタルな感じなのだ。デジタルカメラで撮った料理写真を一生懸命画像ソフトで美味しそうに見えるよう調整している訳で、本物?にはかなわない。

とは言え白熱灯も言ってしまえば科学によって創られたもの。それが、蛍光灯そしてLEDに取って代わられるのは自然な成り行きと理解も出来る。でもしかし、単純な仕組みで光る白熱電球は一番身近に感じられる科学だし、このエジソンさんの大発明に日本の竹があってこそ成り得た科学史が、ネットで読むアーカイブの一端になってしまうはあまりに惜しい気がしてならない。お父ちゃんが子供に話聞かせるにも臨場感はまるでなし、LEDの仕組みなんて今度は口ごもるに違いない。アナログ人間のそんなロマンチシズムも節電にはかなわないのが、やはり寂しいと思ってしまう。

ただ一方で変な世の中に思えるのは、発光方式も変わり本当はこだわる必要もきっと無いはずなのに、人は電球の形をいまだに追いかけている事ではないだろうか。電球型蛍光灯、電球型LEDと、既存の器具の白熱電球と差し替えるのに見た目と操作性に違和感が無い様にする為も分かるが、商品には何の意味か「リアル」と冠されたり、フィラメント風に光るLED電球も開発されて、バーチャルなアナログを演出する事に面白いと思う反面、このまま突き進むとますます何が本物か分からなくなっていく様な危機感を感じるのは考え過ぎだろうか。