セミナー「初期木割書の世界」

先週の土曜日に久しぶり、竹中大工道具館の技と心セミナーに行ってきました。「初期木割書の世界〜中世の建築設計技術を探る〜」と題された道具館の学芸員さんによる講演です。木割書とはなんぞ?分かりやすく言ってしまえば、建築技術書です。とは言うものの写真の通り、古文書です。漢字ばかりという訳でなくひらがなやカタカナのものもあります。文字が無い時代、道具と技術は五官を駆使して伝承されてきましたが、言語が発生発達し文字が誕生し、当然ながら技術の伝達はそれまでの口伝や見よう見まねから、媒体での伝達に変わっていった訳です。

世界には未だ五官だけの伝承が続くところもあるそうですが、それは技術を盗まれない為だそうです。そう考えると、日本はやっぱり平和です。どうやらこうした木割書は秘伝書から始まり公刊書に移り変わっていったようですが、ことの始まりは技の自慢にあったようです。俺んちにはすげぇ秘伝書があるからよ〜お前らには負けね。なんてやってたんでしょうか。やはり平和。
木割書の内容はどちらか言えば寸法体系(モジュール)の構築が主だったようです。 柱や梁、垂木のサイズを一定比率に現すことで、誰がやってもある程度に整った形を作り出せる(もちろんそれなりの技術あっての話でしょうが)。そうした俺んち流を伝えられるように、もしくは忘れないようにするのが一番の目的だったようです。中には観念的哲学的な人もいて、大工とは何ぞやと深みにはまっていくものもあったそう。なににせよ、世界に類を見ないほどに日本には建築書が多いのだそう。平和だけでなく、日本という国はそうした技術を育む土壌が自然にも思想にも羨ましい程にそろっていたのかも知れません。いや平和どころか、乱世を生きる術だったのかもしれません。

秘伝書がやがて流出し公刊書に移り変わっていくに従い、文書の中身はだんだん誰にでも分かるような内容になっていきました。小難しいことばかり書いてあってはベストセラーになれないのです。その技術の拡散の陰で秘伝書はなくなっていく。もしくはマニアな世界になっていく。結局今と変わりません。伝統を残す難しさは、今に始まったものではない気がします。

こうした木割書は当時の棟梁やその弟子によって書き連ねられ、改訂が重ねられたりもする。中にはアチコチの木割書を書き写して並べただけのものもあるそうです。棟梁の発生も頭と実力が秀で人心を掴み、乱世を生き残る為に段取り上手なプロデューサーが必要だったのです。話を聞いて想像している内、はじめ思い描いた建築家と言うよりもゼネコンの社長に近い存在だったのでは?と思えてきました。

それよりどなたか、今の乱世を生き残る術の木割書はどこかにないものでしょうか。

軸組模型を作っていただきました

先日に砕石パイルの地業が終わった物件で、工務店の親方から軸組模型ができたので構造の打ち合わせをしましょうと連絡が入り、本日は工務店さんの事務所へ伺いました。

どど〜んと30分の1模型。なかなか迫力があります。模型の制作はこの物件を担当される大工さんご本人。どんな建物になるか理解してやるとやらないでは間違いなく違うと親方の方針で作られた模型は、担当の棟梁だけでなく手伝う他の大工さんにも指示もしやすく作業がしやすい、問題があれば解決の方法も見えやすくなります。現物ができてしまうとその場の迫力に押されて見逃してしまうことも、こうして模型を目の前にすると、この建物はこれが弱点だなこうした方が強くなるよ。と具体的な様子がイメージされ話になって出てくるのだと実感します。

それにしてもやはり大工さんの模型です。プラモデル世代だからやり始めるとはまりました。と話す大工さんの作った模型は、部材のサイズも図面の通りに作っていただいています。なので、自分で描いて幾度も見直していたつもりでも間違ったままのところを発見してしまったり、恥ずかしいばかりですが、自分自身も改めて建物のイメージがしやすくなりました。どうしようか迷っていたところも、やっぱりこうしてくださいと、お願いして今日のところは終了。

しばらく寒さが続くので、もう少し暖かくなってから基礎工事に入り春先に棟上げの予定です。

寒空でもトップライトのあかりが暖かいです。

去年内からスタートしていた大阪の街中の小さな家です。もうすでに設備の配線やら配管やらが走り始め、もうあと少しで内装に取りかかる手前まで来ています。外壁側も板金を張る手前にさしかかっています。

敷地の小ささに心配をされていた施主さんも形が見え始め、安心してもらえている様子。家の中心には大きな天窓のサンルームがあり、ここは中にいても外にいるような気持ちよさがあります。

今日は施主さんに選んでもらう浴室に張るモザイクタイルのサンプルを持って、現場に行きました。

半年間の非常勤講師を終えました

友人からの誘いで半年間、京都の美術大学で非常勤講師をやらせていただいた。今日は受持ち授業の最終日で、週一度通った通学路?にしばらく来なくなる。幾度と誘いに仕事の兼ね合いを理由でずっと断っていたのだが、一昨年とうとう折れ、去年の後半から一年生相手に授業をしていた。

教えていた内容は建築の専門課程でなく、デザイン学科の基礎演習みたいなもの。相手のフレッシュさんもデザイン学科全体の混合チームである。友人が統率する授業の補助役みたいなもので、実のところ気楽な感じでこの半年間過ごした。ただ週の一日を取られるので常勤の先生には申し訳ないが、この非常勤講師の日が自分にとっては「若者と触れ合う」どちらか言えば休みのようなものになってしまった。それもしばらくお休みとなる。

今時の学生は、と爺くさいことを言えば、2〜3割はコンピューター持ち込み。見かけたのはすべてMac。そして全員近くイヤホンをして、音楽を聴きながら制作をしている。黙認していたが、今思うとやはりどうかと思うところもある。3〜4年生になり、専門課程の制作をコツコツやる頃になると、自分たちの時代でもそんなものだったが、1年生時分はもうすこし初々しかったのではと、振り返ってしまう。

帰ってきてたまたま読んだ香山リカ氏の文面に、今の学生は問題に対し、悩みを抱え、それを分析し解決に至るメカニズムを求めて対処をせず、どこかにある「処方箋」に頼ると言うようなことが書かれていた。どこかとは書籍であったり、ネットであったり。処方箋を提示しない先生は、結局のところ見切られていたのかも知れない。問題提議で終わっただけではハッピーエンドにならないのだ。

そんなことを感じつつ、ともかく半年が終わりました。かと言って、嫌な気は全くありません。むしろ良い機会であったことに間違いありません。学生ともう少し深く付き合う姿勢をもっておいた方が、自分にとっても身になったのだろうなと少しだけ反省。また今年の秋からお世話になるはずなので、そのところ次は生かしたいと思っています。

砕石パイル地盤改良

年末に地鎮祭を済ませた物件がスタート。まずは地盤改良から。

今回は砕石パイルという地盤改良の工法を採用して進めています。 実は工務店さんからの提案で初めて知りました。一般的に住宅に使われる主流の改良工法は、柱状改良と言われるセメントと土を練り混ぜた柱を地面の中にこさえる工法ですが、この砕石パイルではセメントなどを使わず(分かりやすく言えば)砂利を詰め込むだけの工法です。ただ詰め込むと言っても、それなりに開発された認定工法なのでちゃんとした計算の元に進めています。
と言っても、工事の方には申し訳ありませんが、現場で立ち会って見ていると詰め込んでいるだけに見えちゃいます。

この工法のメリットはセメントを使いませんので、環境に優しい。石を詰め込んでいるだけなので、余剰分は土と一緒に処分できます。開発元さんのHPによれば液状化にも強い。構築物とならないので、土地の資産価値を落とさずに済むらしいです。条件にも寄りますが、柱状改良と金額的にはそれほど大差はない。(詳しくは下記リンク先へ)
メリットばかりなようにも思えますが、あまり知られた工法でもないのでどことなく不安もありましたが、こうして工事の様子を見ていると採用して良かったように思えます。

ちらちらと雪が舞った中、工事は進みました。1.5〜1.7Mほどの浅めな改良ですが、約40本ほど設置するのに2日半ほどの工事となります。初めて見る工事についつい現場に長居してしまいました。

今年もまた「えべっさん」

えべっさん

西宮の「えべっさん」も今日で終わりです。ようやく正月気分が抜けるような気がします。

今年は宵宮の晩にお参りに行きました。どエラく寒い。例年は好んで混雑する本宮の晩に行くことが多いのですが、今年はどことなくそんな気も湧かず、マイペースで参拝と言った感じです。お参りを済ませ、おみくじ引いて、福笹買って、軒を連ねた屋台のひとつを選んでラーメン屋に入ってみましたが案の定、期待通りにはならず。帰りに駅前の人気たこ焼き屋で口直し。

それにしても今年もまた屋台の数は減っていました。コワい方排除運動や震災の影響でしょうか?参拝するにはスムーズでよいと言えばよいのですが、どことなく祭り気分にかけてしまって正直さびしいです。お約束に期待をはずす屋台でも、まだしばらく商売は厳しい時代なのかもしれませんね。

和倉温泉

今日は年賀状を出せる状態になって、ようやく正月から”解放”された気分です。

年末年始は庄司家家族で恒例の温泉旅行。先の記事に書いた通り、前日もぎりぎりまで仕事が終わらず年賀状も書かず、潔く諦めひと風呂浴びに「和倉温泉」出掛けました。和倉温泉と言えば老舗旅館加賀屋さんが有名ですが、残念ながら加賀屋さんではありません。と言いますか、加賀屋さんが此処にあることを目の前にやっと思い出した程度でして、はじめから分かっていればちっと調べてから、、、でもきっと諦めていたことでしょうが。

和倉の街は元旦に少し回ってみました。到着した時も海岸沿いにホテルが建ち並ぶ様子に驚きましたが、小さな波止場の先から振り返ってみると、海からニョキニョキ建物がそびえ立ちエラい風景やな〜と言う気がします。それらは現代建築というよりも、ひと時代過ぎたようなホテルばかり。全盛期のホテル建築ラッシュは、それこそすごい勢いだったのでは?と思えます。個人的にはもちろん面白いのですが、街としての新陳代謝はどことなく難しそうな気がしました。詳しく知らないので間違いな想像かもしれませんが、加賀屋さんが「おもてなし」を海外まで持ち込み展開されている背景には、ハードよりもソフトを武器にしなければならない現状と思えなくもありません。もちろん、それに関わらず「おもてなし」を大事にされてきた加賀屋さんの伝統は、きっと学ぶべきものが多いのだろうと思いますが。「おもてなし」の下手な自分こそ、奉公に行かねばならんのかもしれません。

 

そんなことはなににせよ、嫁さんは和倉温泉のゆるキャラ「わくたまくん」にゾッコンだったようです。お土産にわくたまくんミニぬいぐるみのストラップをようけ抱えておりました。

謹賀新年2012

あけまして おめでとう ございます

年始早々、お詫びからスタートです。年賀状が実はコレから。仲間内で締めた忘年会以後の年末年始まったく頭が冴えず、 年賀状を頂いた皆様になんとも申し訳ない有り様。是が非でも抽選会までにはお届けしますので、今しばしお待ちください。

ブログの方もすっかりご無沙汰で、年賀にコメントを頂いたのを読む度に申し訳ないばかりです。ここまで間が空くと、なんとも書きづらいですね。(去年も同じ様なスタートだったな。。。トホホ。)書きたい事は都度あったはずなのですが、どんどん忘却の彼方へ。。。今年はそんな事にならぬようヒト言でも、ヒトリ言でも途絶えないようお伝えしたいと思います。

ともあれ近況ですが、暮れに完了検査を受けた鉄骨住宅が外構を残しています。去年内から木造住宅の現場が2件始まりました。ひとつは既に上棟。ひとつは地鎮祭を終えたばかり。そして、計画が終わって今年早々に見積を始めるちょっと大きな物件がひとつ。今はありがたく仕事をさせて頂いています。

本年もよろしくお願いいたします。