台風一過に緑を購入

アジアンタム スノーフレイク

昨日事務所に着くと、玄関先のトネリコの鉢が台風の風で倒れてしまい鉢が割れて横倒しになっていた。お隣のおじサンに道に転がっていたところを軒下に避けて頂いたので、お礼をしておく。鉢が割れてしまったまま放っておくわけにもいかず、昼からコーナンに替わりの鉢を探しに行く。

ついでにこの間ゴーヤの苗をいただいたので、プランターを購入。こちらは自宅で家庭菜園に挑戦。折角なので、事務所にもひとつなにか買って行こうと思ってアジアンタムを買う。2年ほど前に自宅の庭先にも植えたのだけど無精な手入れでもそれなりに育ってくれていたので、たぶん大丈夫だろう。たまにはこういうのも良い。プラス土やらなにやら揃えて気がつくと、それなりの金額になってしまった。コーナンを舐めていた。う〜ん、まあいいか。

住まいに緑があるのは、やはりいい感じがします。緑が添えられると、どことなく家の姿もよく見えてくるから不思議です。

 

open! architecture:高島屋東別館・南海ビルディング

イベント好きな親父の案内から、建物公開イベント「オープン・アーキテクチャー」という催しに昨日は参加して来ました。午前中は「高島屋東別館」に、午後からは「南海ビルディング、なんばパークス」を見学させていただいた。この「オープン・アーキテクチャー」は、ヨーロッパで行われるような建物公開のイベントを定着させ、一般の方にもっと建物や建築に関心を持ってもらおうとするグループが主宰しています。「つかい手、つくり手」の普段は聞く事の出来ない話を交えながら、通常は行く所の出来ない場所を案内していただけます。そんなわけで、ひとりで行ってもなかなか撮れない貴重な?写真を撮ることができました。(話し聞きながらの団体行動なので、そんなうまくは撮れませんでしたが。)

高島屋東別館は見かけはひとつのビルの様ですが、大きく3度の増改築を繰り返して1937年に完成しています。(実は未完のようですが。)手の込んだ装飾や造りに当時の設計者鈴木禎次氏のこだわりと関わった方全員の熱意が見られます。映画でしか見る事ができない様な懐かしい世界に戻ったような気さえします。また地階の倉庫は地下鉄の駅と壁一枚で区切られ、列車の音が響きさらに雰囲気が盛り上がりました。

南海ビルディングも再開発で現代的に改修されていますが古いターミナルビルです。1932年建設当時の階段が今も残っているとの事で案内していただきました。防火区画の扉を隔てて「今と昔」が背中合わせになっていることに参加者の皆が驚きます。

今回の建物探訪は、こうしたイベントでしか味わえない体験をさせていただきました。特に関係の方から伺える話は時折裏話もあり、普段携わることがない建物がもっと身近になったような気がします。

日本初・建物公開イベント「オープン・アーキテクチャー」 日本初・建物一斉公開イベント|open! architecture

広い視点と狭い視点を行ったり来たり。

昨日は快晴でしたが、これからしばらく雨が続くそうです。嫌な季節です。プレゼンのひとつが一段落ついたので、昨晩は事務所のスタッフと近所の居酒屋へ。今朝はちょっと寝坊して出勤したものの、ぼ〜っとする訳にもなかなか行かず、ぼやけた頭のまま実施計画に掛かっている図面を進めているところです。が、これがなかなかどうにも思う様にまとまらず、日々悩んでいる最中です。

間取りはほぼ決まっているのですが、真壁の木造で現しになる骨組みを見せるには、ああでもないなこうでもないなと頭の中でできあがりのイメージを想像し、図面をあっちこっちに移動して描き進めています。今描き進めているのはいわゆる伏図や軸組図と言う構造図面のようなものですが、見せ場はほとんどこれで決まるので、どちらか言えば意匠図のようなものです。なので、これらがしっくり来ないので次ぎのステップにどうも進めずにいます。建物全体と部分の詳細とほぼ同時にイメージが固まらないとなんだか気持ち悪いのです。

近い内に大工さんにも見てもらいたいし、構造設計の打合せもこれからの予定なので、恥ずかしい図面も描けない。まずは自分が思う意図を伝えられるようにしないと、曖昧なままではやっぱりバツが悪いものです。そんな訳で今はぼちぼちとイメージの基礎固めなのですが、どちらか言うと卍固になっているのかも。

現場の帰り、久しぶりに世話になった和菓子屋さんへ

このところ仕事の事をまるっきり記事にしていないから、なんだか設計事務所のサイトでないような気がしてくるのだけど、それなりに仕事はしています。

震災の影響で進みの遅い現場からの帰り、久しぶりに独立すぐ仕事をさせていただいた和菓子屋さんに立ち寄った。大型ストアが近隣にできて和菓子屋さんのあった商店街はすっかり人通りが減った。食い止めようが無い様子で、たまに思い出して顔を出す度にご主人はどうしても、そんな話しや商店街の内輪の話しが止まらない。
それでも帰りがけには必ず食べ切れないくらいにお土産を渡されてしまう。今日は払いますよと言っても受け取ってもらえない。そんな気前良くできる場合では無いはずなのに、人柄の良いご夫婦の言葉についつい甘えてしまう。
ご主人は以前パソコンに奮起し、分らないことがあるたびウチに電話がかかって来ていた。しばらく連絡無かったけど、きっとご自分で頑張ってるのだろうと思っていたら、もうやってもしゃ〜ないよ。と。5年持つかどうかみたいな話しが決して冗談ではなさそうで、人通りの少ない商店街には「人」がいない時代になっていくように感じてしまう。

翌日追記 >

大日 六甲生田堂そんな寂しい話で終わらんとってよ。とヨメさんに言われた機会なので、少しでも応援。グルメサイトに登録して、和菓子屋さんへのコメントを付けた。和菓子と言うと、どんどん高級菓子しか思い出せなくなってしまうが、身近に小さな和菓子屋さんは結構あるのだ。和菓子の世界は日本の素敵な文化でもある事をみんな知っているはずなのに、その存在を危うくしてはいけない。コンビニやスーパーで済まさず和菓子屋さんへ足を運ぼう!

 

大日六甲生田堂(兵庫 三宮・元町・神戸 / )|Alike.jp

働けど働けど、出費は増えるばかり。。。

働くバーチャルおじさん

先日夜遅くの帰り道にばったりと建築仲間の一人と出くわし、仕事のお連れもうひと方とと3人でそのまま駅近くの居酒屋に入ってしまった。おそ〜まで何やってんの、最近どう?とお互いいつもながらの挨拶はそこそこに、友人は昨日買ったばかりというiPodをカバンから取り出した。やっぱイイな〜。マック好きのコチラとしてはウラヤマしい。

しかし悲しいかな話はいつしかCADソフトの事になり、OSが変わってウインドウズも難儀よ〜。買い直すのは高いしホントどうしよ〜。ね〜どうしてんの?3Dはどう?ホント悩んでんのよオレ!と友人は言うので、最近お気に入りグーグルの無料3Dソフト SkechUP の話をしたら、何々それ?早速、iPad で検索。すごいじゃんコレ?しかも無料?やってらんない!明日ダウンロードするぞ!と盛り上がった。が、果たしてどうなったかな。

人事ではなく、OSのバージョンアップでアプリケーションの話しはこちらも同じである。ハードは手に入れやすくなったけど、ソフトはどんどん高くなっている気がする。しかし今以上の機能はほとんどいらない。なのでCADソフトは新しくするつもりはサラサラ無いのだけど、どことなく自分のマックの調子がイマイチな感じがして実は気が気で無い。不安が現実になる前に、いっそ中古マックでも買った方がいいんじゃないかと思っている。発売当時買えない様なハイスペックなマシンが十分に狙える。だけどな〜いいのだろうか、そんなで。

世の中の変化について行くには、いつまでも出費は止まらない。お陰で、ため息も止まんないです。

 

たくさんの型ガラスで肩こりました。

昨日は建て替え計画を進めている解体前の古家で、某テレビ番組の匠のごとく、沢山残るガラス障子にはまっている型ガラスを一枚一枚外す作業を一日中していた。今はおそらく手に入らないだろうチョッと変わった模様の型ガラス。解体されて粉々にされてしまうのは余りに忍びなく、新しい建物にいくらかでも使いたいと思い、施主さんに都合をつけてもらってせっせと寄せ集めた。古家に愛着を持つ施主さんにもきっとよい思い出になる。大きなガラス板はないが、おそらく使い切れないぐらいの枚数にはなっただろう。なかなか出会えないこうした経験を楽しませて頂いている。実は本日、背中や首筋が筋肉痛でクタクタです。

今日はたまたまネットで調べものをしている最中、以前の勤め先でお世話になった施主さんの屋敷が解体されていた事を知った。しかも半月前にもならない話だった。その建物は著名な建築家が設計した住宅で保存を惜しまれていた。なので偶然知る事ができた訳だけど、当時に何度か建物に入らせて頂いて、なかなか見る事ができない重厚な造りにキョロキョロしていた事も思い出した。ネットで見た解体の様子に少々ショックな気分。跡地はマンションが建つような記述も見つけ、さらにやり切れないものがありました。

他にはつい最近、お世話になった先生の自宅が建て替えられる話しがあった。ここもまた立派な日本建築だっただけにごく普通のメーカーさんにお願いされるので、身勝手かもしれないが残念な気がしてしまう。自宅そばの立派な白鹿の工場も今は無くなって、だだっ広い更地になってしまった。

古いものが新しいものに入れ替わるのは避け様の無い事ですが、今回ガラス板を残せるのは本当にシアワセな気がします。うまく使ってあげたいです。

横尾忠則はやっぱり違う

雨降りが続くとホントかないませんね。今日はそんな事を言う場合でなく、西脇方面のとある物件のプレゼン続きで概算見積持って打合せに。新境地に向かって?精一杯頑張ってみたので、さあ後は運任せです。

その後、西脇にある大きな保育所へ。その保育所さんとは10年近くのお付き合いをしています。こちらは10年前に新園舎のプレゼンをさせて頂く機会があったのですが、じつはあえなく落選。なのですが、変わった設計士と、どう言う訳だか園長さんには気に入って頂いており、その後送った年賀状がきっかけで、工事中から他社の設計内容の相談を受け。竣工後もチラシのデザインやら内装の変更、記念写真の額縁の選定など細かな事があると呼んで頂けるようになりました。面白い園長さんなので、こちらもへいへいと伺うようになりだらだらと時間の過ぎることもあります。面白いものです。

その保育所に行って時間のあるときはいつも、すぐ近く日本のヘソ公園にある岡之山美術館に立ち寄ります。ここは画家(元デザイナー)横尾忠則氏の小さな美術館で、磯崎新という大建築家の設計です。今日も同じ様に立ち寄ると「横尾忠則いまどうしてる?西脇展」なんとも気の抜けたタイトル。何が飾ってるとかそんな事は気にせず、いつもの様に受付の呼び鈴を鳴らします。よくこんなんでやれるよな。と思いつつ、いつものようにぶらぶら廻り始めると、今回はツイッターのつぶやきと絵が一緒に並べてありました。なるほど。その一言一言が結構面白い。やっぱ違うよな〜。別室で絵を描く横尾さんのビデオが流れていたので、ついついそのまま眺めていると。個展は2年後まで詰まっている。。。とテロップが!やっぱ違うかも。。。そのビデオの一場面で、昔の絵に絵筆を入れています。どこだったかの美術展の図録にこの作品は載ってるんだけど、もうその絵はこの世に存在しないの。。。と、ひと言。やっぱ違います。

ポスター1枚買って帰りました。

リアルな木目柄シート材に圧倒された。

雨の日は賑やかに

今日の午後に雨降りの中、面材メーカーの営業さんがやってきた。えらく元気な口調に少々食傷辟易しかけてきたところ、カバンから取り出したサンプルに驚いた。カタログはまだ揃ってないのですが、新しい木目柄のシート材です。。。

取り出したファイルに挟まれているのは、まさしく本物の突き板のサンプルかと思えるような素晴らしい出来のニセモノだ。思わずスゲ〜〜ですね。コレ!?と驚嘆してしまった。あんたマジシャンでっか??これは一体なんなんや。日本人ってホンマすご〜い。一体何を求めているのだろうか。木目がリアルにプリントされているのは当たり前で、肌合いの凹凸がシンクロして再現されている。触っても本物?と思いそうになる。バーチャルとリアルの境目が本当にない精巧な3Dとしか言いようが無いのだ。

本当に高価な銘木を目の前にすると、多分本物どうか疑ってしまうに違いない。適当にひん曲がった安物の品の方が、きっと本物と思い込むに違いない。前の事務所でプリント天井板を長いコト本物だと思い込んでいたり、新しい事務所の聚落壁がクロスであることをすぐに見抜けなかったり、エエ加減な設計士だからエラそうな事は書けまい。と思うけどやっぱり書きたくなる。こんな世界で育ったコドモには、ホンモノだとかニセモノだとか、まるで意味が無くなる様な気がする。オトナの嘘や見栄に塗り替えられた間違った世界に、何も知らずのめり込む様な危機を感じる。やめようよこんなこと。

なのに悲しい設計士は、そう書きつつも節操なく使ってしまいそうになるのです。。。う〜ん。生きるべきか死ぬべきか。とってもムズカしい問題です。

 

近くにすべきか?遠くにすべきか?

六湛寺川のこいのぼり

遠近両用眼鏡を使いだして数日、残念ながら思った程に使いやすい訳ではなく、音を上げた。遠近だと基本は遠用で正面だと近くのものを見るには焦点が合わない。目線を下にすれば下側にある近用レンズでもって近くが見やすくなる訳だが。。。普段のパソコン使いにはどうも相性が悪く、えらく疲れだした。一日頭の後ろをつままれている様で、肩が凝りだす。早々に諦めて、パソコン用にもうひとつ揃えてしまった。使っていなかったフレームがあったのでレンズをはめ変え、ほぼパソコン専用に。こちらはすこぶる具合は良い。ただし本当にパソコンだけ。目線を少しはずすだけで、視界がちょっとグラつく。自分の眼がなんとも不便なもののような気がして来た。

連休に友人二人と夜中に飯を喰いに行った。とうとうエンキンになったよ〜。ホント、歳だわ。みたいな話しをするなかで、じいちゃん達が近くを見る時に眼鏡を頭に載せたり、ばあちゃん達がひも付き眼鏡をぶら下げたり、その気持ちが分かる様になった。と言うと、ホンマホンマめっちゃワカル。と返される。二人は美大時代の友人なので正直言ってどちらも年齢不詳、年相応に見えない業界人みたいなのが三人集まって歳の話か。今度は自分がなんとも不便なもののような気がして来た。