Shioya-Kei:サイディングが貼られました。

scaffolding

先週土曜日に分譲住宅プロジェクト(前回「建売」と書いてしまったが間違い。この一棟がモデルハウスとなるので建売だが、他の棟は分譲になる。)の現場を見に行って来た。

いつもと違い、このプロジェクトは意匠的なアドバイスだけなので、細かな指示や絵を描かずに進む様子はなんとなく微妙な感じがする。現場に足を踏み入れれば、気になった施工の様子につい口出ししてしまうものの、あまりアレコレ言う立場でもない。それでも付き合いのある工務店さんだから、それなりに意見は尊重してくれるし、いい加減にできる筈もない。やっぱり不思議な感じがします。

外壁はサイディング。区画の中で、基本のサイディングは3色とルールを決めています。全体が完成したときに、この区画一帯の特徴が明確になるようにイメージをしていますが、売り主の不動産屋さんがどこまでお客さんのコントロールができるかで、まとまるかバラバラになるか、心配でもあり楽しみでもあります。ともかくプロジェクトが完成するまで、悩みに悩んだ予定のサイディングが廃番になったりしないことだけ祈ろう。

西宮砲台の中を見てきました。

Nishinomiya battery

昨日、秋分の日は、自宅そばの香櫨園浜の浜辺でイベント「海辺のひろっぱフェスタ」が催されていました。自宅の窓からも写真の西宮砲台が垣間見れるのですが、この日はイベントの一環として砲台のガイドツアーがあり、中に入る事が出来るので行ってきました。

幕末動乱の最中アメリカ・ロシアなどの軍艦の来航から大阪湾防備のために設けた砲台だそうです。国指定の史跡になっています。
外壁は漆喰塗りですが、基本の構造は石積みです(ひとつひとつはかなりデカい)。昭和になって内部から鉄骨の補強工事がなされていますが、崩れる危険性もあるかもしれないので外周にはフェンスが張られ、普段は側に近寄る事ができません。積み上げられた石は、花崗岩が使われていますが残念ながら神戸の御影石ではありません。神戸山手の石切場から切り出した石を運ぶには無理があり、岡山のナントカ島(失念…)から瀬戸内海を渡ってイカダで運んだそうです。
浜辺の砂地に建築するにあたって、石積みの砲台が砂浜に沈まない様にするため当時の技術者は1200〜1500本の松杭(3〜5M)を砂浜に埋込むことしました。という事は、今もこの砲台は松杭の上に建っていると言うコト。ヨメさんに腐らんのか?と聞かれましたが、土に埋もれて空気に触れないから直ぐには腐らんのだろう、と適当に答えてしまったが、如何に?ネットで調べてみたら、適当に言った事は間違いなさそうで水に漬かった松は腐敗しないそうです。古ビルの解体現場から45年前の松杭が青々と出て来たとか、80年前の松杭が出て来たとか、ベネチアの待ちは干潟に数十万、数百万本という松杭で築かれた街だとかの記事が出てきました。そうだったんだ〜スゴいですね。現在も使用される工法の様で、こんな事を書いているのが実はお恥ずかしい。

ところでこの砲台、換気設備が整っておらず試射をしたところ内部に硝煙が立ち込め、とてもじゃないが兵隊さんはいられない状態だったそうです。伺ったお話では実際に使用を考えていたと言うよりも、軍事施設があるぞ!と言う威嚇のためだったのだろう。と。それにしてはエラいものを作ったものです。大砲を突き出しそうな窓は2階あたり、木造の床が組まれていたようです。が、人力で持ち上げるしかないので、大した大砲が装備された訳でもないそう。中心には防火用の井戸が掘られているそうですが、使われた形跡もないそう。話を伺えば伺う程、西宮砲台に悲哀を感じてきました。しかも、火災に遭い内部は消失。なので、写真の通りガランドウな訳です。和田岬砲台と言う砲台が、三菱重工神戸造船所の構内に残っているので、コチラは内部が現存しているおかげで比較推測できるそうです。

ところで砲台という施設はこの建造物だけを差すのでは無く、周囲を囲む土手を含めた全体を言います。(下の画像参照)西宮砲台はこの土手の一部が残っています。そして、砲台のある場所を台場と呼び、全国には百をこえる台場と付く地名が実はあるそうです。東京のお台場は幕府に敬意を払った地名として御台場という事。

ちょっとお勉強になった秋のイベント参加でした。それにしてもお話をしていただいた西宮郷土資料館の館長さんは、メモ無しに、途切れる事無く30分ぐらいお話されていました。次から次に伺った話はどこも面白く、右から左に流れ出てしまったのが、ああ勿体ない。来年もあれば、もう一度聞きたいぐらいでした。

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Nishinomiya battery

その他にも写真あります。
Nishinomiya battery

すまいをトーク「木造住宅の構造入門・耐震診断」〜耐震診断に思うこと〜

構造金物
構造金物

昨晩は、すまいをトークで「木造住宅の構造入門・耐震診断」というテーマの座学を聴きに行きました。

講義の内容とは話がずれますが、他の設計事務所(もしくは施工業者)が設計または建設した住宅を診断するというのは、個人的には正直躊躇します。昔、一度だけ建売住宅の構造が適正かどうか診て欲しいと頼まれたことがあります。知人の話で断れずに行った訳ですが、一見すると正直怪しい。大阪の街中にはありがちですが、間口が狭く奥に深い住宅でした。耐力壁をしっかり取ろうとすれば、窓が小さくなり法的に必要な採光が取れなかったのでしょう。そんな住宅が並んでいました。見に行かせてもらった一軒でなく、その連なり並ぶ住宅の住民が皆不信感を抱いていたのです。事務所に帰って耐力壁の具合を念のため確認すれど、間違いなく確保できているる筈も無く。そのまま伝えるしかありませんでした。自分が設計した訳でもないですが、なんとなく気まずい。正すべき事は伝えるべきでしょうが、他の方の設計(施工)にケチをつけるようなもの。なので、そうした話は正直敬遠してしまいます。しかもまだ経験の浅い時期でしたから、自身の判断をどこまで伝えるべきかさえも悩んでしまいます。

講座はもちろんそんな話ではありません。一般的な木構造の話から、構造的な法規制前の住宅における耐震補強についての行政の取り組みや制度、耐震診断ソフトの実演など、短い時間の中でそれらの概要をお話されました。中でも耐震ソフトでのシュミレーションはヴァーチャルな感覚と言え説得力がありました。仕事柄、やはり興味を惹かれます。

経験の浅い私でも、木造は構造的に一番判断のしにくいものである事だけはよくよく感じています。シュミレーションは数値的にソフトが判断し崩落の様子を再現してくれるのですが、それが全てでないとも思えます。それを覆す必要はもちろんないのですが、自分の考えの中で構造の安全を判断するのはまだまだ遠い道のりがあるように思えてなりません。木構造は古来から継承され発展してきたものです。現代的な鉄骨構造やコンクリート構造と違い、今もって確立した構造理論はあるようでないと言えます。金物でがんじがらめにされる今の法規制はその過程にあるのかもしれませんが、それだけ木構造は複雑で奥の深いものです。これだけは、ただただ、経験を積み勉強するしか無いのでしょうね。精進です。

ところで、ブログで書いた「すまいをトーク」のいくつか記事が会のレジュメに挟まれて配布されました。後で読み返してみると乱筆乱文やら、語尾がおかしいやら、お恥ずかしい。推敲もそこそこに載せてしまっていますので、会に来られて真面目に読まれた方には申し訳ないばかり。お許し下さい。文章もまた、ただただ精進が必要です。

余部鉄橋の鋼材の活用に向けたアイデアコンペ

余部鉄橋の鋼材の活用に向けたアイデアコンペ.

2年前に旅行で行った余部鉄橋()が現在、新橋梁へ世代交代されようと工事が進んでいます。たまたま、こんなアイデアコンペを見つけました。一般公募としては、オブジェやグッズへの再利用のアイデア募集です。思い付いたら出してみるのも良いかもしれません。うまくすれば、美味しいカニが食べられるかも。

わざわざご紹介したのは、コンペサイトの中に資料として配布されている余部鉄橋の資料が、建築関連の方にはちょっと面白いのではないかと思ったから。ご興味あるかたは覗いてみてもよいかも。「応募にあたっての注意事項」の中にあります。

ちなみに斜材・横部材・桁などは補修工事で取替えされているそうですが、主部材は100年間使用されているそうです。塗装工事の履歴なんかも面白いです。塗料の進歩が分かるような気がします。

カキノイス「宮崎椅子製作所」

KAKInoISU

月曜日の祝日は、カキノイエの施主さんにお伴して宮崎椅子製作所まで行ってきました。

友人の古田君に製作をお願いしていたダイニングテーブルに揃える椅子4脚がほぼ完成に近づき、座面や背中の張り地を確認しに行くのが目的でした。ただデザイナーの古田君本人は只今中国、近い内に帰国と聞いていますが、施主さんと共にデザイナーの最後の意向は聞かぬまま決定してしまった感じです。古田君、申し訳ない(笑)。

徳島へイザ。鳴門の渦を大橋から覗き見ながら、昼前に四国入り。昼飯前の微妙な時間になってしまったので、古田君から教えてもらった徳島ラーメンの有名店「中華そば いのたに 鳴門店」で、少し早めの昼食。店に入って驚いたのが、店に座っているお客さんの年齢層が高いコト。注文が済んで待つ間にもつぎつぎお客さんが増えて来たのだが、地元の若い連中と言うより、歳の行ったご夫婦が揃って入って来たり。すごく不思議な空気に包まれていました。ですが、頂いたラーメンはちぃと醤油辛かった。食事の後、徳島の味は濃い?が話題になってしまったほど。意外。

街道から逸れて田園風景の中、宮崎椅子製作所はありました。着いてみると、目の前に建ちはだかったのが工場らしき建物の存在感。重量感のあるものものしき雰囲気は、年代物の匂いがします。その向かいに深緑のガルバリウム鋼板で囲われた現代的な事務所兼ショールームの棟。徳島に着いてから目に入ったいた建物と、どちらも違った意味で異質なかんじでした。妙な期待感が産まれます。

祝日なので工場はお休みですが、社長の宮崎さんが快く出迎えてくれました。ショールームに通されると、目を引く椅子が沢山並んでいます。ここ宮崎椅子製作所は有名なデザイナーとのオリジナル商品を多く製作・販売しています。カキノイスを目の前にしながら、目移りしそうな勢いです。

ともかくカキノイス。試作の様子を写真では見ていたのですが、実物は想像以上に良い仕上りです。カキノイエの内装はどちらか言えば直線的ですが、カキノイスは、カキノタネがインスピレーションにあっただけ曲線。主張しすぎずに、柔らかいイメージをカキノイエに添えてくれそうです。張り地のサンプルを宮崎社長さんに見せていただきながら、施主さんは悩まれた末に決定。ご親切に、候補になった生地をつかった椅子やクッションをつぎつぎ奥から取り出され、イメージしやすくして頂けました。

その後、お休みの工場内を少し見学させて頂きました。天井が高く広い工場に、工程に沿って加工された脚が積み上げられたり組み上がって仕上を待つ椅子が並んでいます。この工場の建物は元々海軍航空隊の本部兵舎だったものを国から譲り受けたのだそう。なるほど。始めに感じた物々しさは、本物だった訳です。この工場を拝見するだけでも貴重な体験だったかもしれません。

カキノイスがカキノイエに到着するまで、およそひと月となりました。テーブルに並ぶ様子が楽しみです。

Chair factoryChair factoryChair factory

宮崎椅子製作所
field:古田恵介

施主さんの宮崎椅子訪問記はコチラ 

*ご協力お願いします「天晴くんを救う」*

直接の知人ではないのですが先日、高校時代の友人から連絡があり、クラブの先輩のお兄さんの息子さんが「拡張型心筋症」という心臓病を発症し、アメリカでの心臓移植のため募金活動をされている事を知りました。子供では30万人に1人か2人に発症といわれる、先天性でもなく遺伝性でもない予後の悪い難病・・・・なのだそうです。

出来る協力をと思い、このブログを訪れる皆さんにお知らせする次第です。

天晴くんを救う会公式サイト.

アイナール・トゥルコウスキィ

毎年恒例のボローニャ絵本原画展を西宮市大谷美術館まで見に行ってきました。

公募の作品に気に入ったものもいくつかあったのですが、展示最後に観た特別展示のアイナール・トゥルコウスキィ<Einar Turkowski>さんの作品を観て、その精緻な絵に度肝を抜かれ、それまで観た数々の作品の印象がスッ飛んでしまいました。壁に掛かったいくつかの原画は、他を圧倒する大きさでも、奇抜な色彩でもありません。ごく普通な大きさの紙の上に、小さな絵がいくつも並んでいます。大きいものでもA3サイズあるかなしかです。上の写真は、購入したトゥルコウスキィさんの絵本を撮ったものですが、白い紙にシャーペンで描かれているだけ。解説によると、24ページ程のどちらか言えば薄いぐらいのその絵本の原画は、制作に3年間を要し、400本のシャーペンの芯を使ったのだとか。(正直、芯の数は多いのか少ないのか分かりませんが。。。ともかく3年は長い。。。)HBだとか。0.5?0.3?芯の大きさが描いてなかったな〜。

元々舞台美術の勉強をされていたそうですが、大学に入ってからイラストの講座に通い、この作品は卒業制作だそうです。そのまま数々の賞を受賞。ひぇ〜。絵本になって印刷されているものと、飾られていた原画を思い浮かべても、ほとんど大きさに変わりがありません。むしろ原画の方が緻密だったと感じます。印刷は白飛びしたりして、原画の微妙なトーンを再現できないぐらいです。あ〜もったいない。大きな絵を小さく納めて緻密に思えるのでなく、要はそのままの方が数段ぐらい緻密な印象がありました。

アイナール・トゥルコウスキィ「まっしぐら、奇妙にしずか」(アマゾン)

ブラティスラヴァ世界絵本原画展(スロヴァキア)
 2007年グランプリから大きな画像が拝見できます。

設計がまだシャーペン、鉛筆が主流な頃(まだ大学にいた時分)1ミリの中に何本線が引けるかを、ひたすら練習させられるなんて時代がありましたが、もうそんな次元ではありません。虫眼鏡をかざして観察してみたくなる様な絵が、つぎつぎ並んでいるのですから。頭が空白になりそうです。仕事でこんな事していたら、3年掛かっても基本設計すら終わりませんね。 久しぶりに、衝撃でした。

Shioya-Kei:区画全体の色決めって難しいです。

Shioya-Kei

「NU」の工事を担当してもらった工務店さんと以前にお会いしていた不動産屋さんが協同で、建売住宅のプロジェクトを進めていました。全12区画。偶然の縁もあり、その全体意匠の計画やコーディネートなどを微力ながら協力させていただいています。どっぷり関わっている訳ではなののですが、モデルハウス用として先行工事の始まった一区画の棟上げが先日済み、様子を拝見に行きました。現場ではNUを担当してもらった大工さんが、大工工事を任されていました。NUでは大工工事は少なかったのであまり腕を奮ってもらえませんでしたが、腕の良いのは確認済み。同じ大工さんに会うと、なんだか安心です。

工務店の社長さんと不動産屋さんと一緒に、この棟だけでなく全体的な外壁色の具合などを現場で打ち合わせをしていたのですが、色決めはやはり難しい。すぐ迷ってしまいます。周辺の雰囲気もチラチラ見ながら、どうしようか。と。普段は計画物件一棟の色だけを頭に据えれば良いですが、今回はそれなりの数が並びます。プレゼンの時は好きな事言ってましたが、現場に来るとまたイメージがつい移ろいます。と言え、ほぼ当初の提案通り。さてさてどうなる事か。

周囲は完全な住宅街。この計画地周辺でも他の建築屋さんが工事をしている様子が見られます。多少古めの住宅もありながら、最近建った新しいものはどこにでも見られる様な建売(売建)住宅ばかりです。一石を投じるなど大胆な事は出来ないでしょうが、周囲とチッとは違ったものにならんかな〜と密かに期待しているところです。

最終の様子が確定した訳ではまだありませんが、打合せ用に作ったスケッチなどをちょっとご紹介します。

バラック好きな建築家?

building

タイトルをそのまま読むと建築家は皆、バラック好きの様に思われそうですが、もちろんそう言う事はありません。バラック建築(と言うべきか?)が好きな建築家もいると言うだけです。その中に自分が含まれているかと言えば、自称すればそうかもしれません。いえ、何を隠そう実は結構バラック好きです。

バラックと言ってもいろいろあると思いますが、本当にバラックと言うよりバラックっぽいものが好きと言った方が本当かもしれません。古びた小屋だとか、レトロなアーケードだとか、市街地の増築を繰り返した住宅だとか。公然とバラックなんて呼んだら失礼なものもありますが。。。建築の法律に照らし合わせると、もしかしなくても違法?みたいなものは、実際世の中に沢山見かけるはずです。しかし、そうしたものについ惹かれる傾向があることを否めません。

しかし、僕自身を含めバラック好きな建築家にバラック建築は設計できません。バラッキーな建築作品と呼ばれそうなものはもちろんありますが、やはりそれはホンモノではありません。バラック建築の多くは、おそらく、たぶん、設計図はないのですから。もしあったとしても、時間の経過によって元々の設計図が意味を成さなく無くならないとバラック建築として成立しないと思うからです。
設計図に描かれた材料を揃えて構築されるのでは無く、その時その場で手に入る材料を工夫して使う。設計図にいくら丁寧に描かれていたとしても、機能的に使いにくいから(場合によれば、使いにくたって本人の意思により)自由に移動させられる。そんな無秩序でありながら、実は意味のあるものにならないといけないからです。設計者がいくらバラックっぽく絵に描いたとしても、法律に縛られたり、数字に縛られたり、実際の生活者や使用者の真の要求に応えられる訳がありません。またそれは、個人とは限らないこともあります。
理屈をいくら浮かべても、 そもそも設計士として活動する人間が、秩序は無く意味のあるものを理解できると思えないのです。法律やら工学やらを仮にも勉強している人間が、それらを無視もしくは否定しながらものを作るのはきっと苦痛です。ちょっと整理が苦手なことと、無秩序であることは、まったく次元の違う話だと思うからです。

だから憧れるのかもしれません。人が生活するなかで発生する生きた建築の要素こそが、僕が憧れるところだからです。本質として人の泥臭い部分かもしれませんが。
街を歩いればときどき釘付けになる古い建物があります。なぜか凄みのある、そんなものが作れる筈は無いと知りながら、やはり憧れています。 

しかし、そうした建物や施設はつぎつぎ取り壊され無くなって行きます。レトロ趣味なだけかもしれませんが、見過ごされるそうした遺産を少しでも記録しておきたいなと、最近よくそんな思いで眺めています。