見積依頼

一段落ついた訳では無いけれど、久しぶりに落ち着いた日。
まだ少しやり残しはあるけれど、図面をなんとか見積依頼の工務店に渡す事ができた。
今日は、見積をお願いするのが2回目の工務店と、はじめての工務店。
それぞれの工務店の社長さんと話をさせてもらいながら、
計画についてにわかに頭の整理をさせてもらう。
計画の説明をしていると、図面を描いている最中に気がつかなかった事や、
盲目的になっていた部分が案外よく分かる。
それをまたフィードバックさせながら図面に落とし込む。
しばらくすれば質疑も来るだろう。
そしてまた、頭を整理する。
見積が上がってくれば、今度は頭を抱え込みながらまた整理。
こうしている内に不要な部分がそぎ落ち、計画がより明確になっていく気がします。
人にもよるとは思いますが、
描いた図面がなんの対話や障害もなくカタチになってしまうより、
いくらかのプロセスを踏む事がが自身にとっては良いフィルターになっている気がします。
説明を終えると社長さんとはたいがい世間話。
他の建築家さんの話を聞いたりすると、それぞれのやり方の違いが感じられて、
それもまた面白いものです。

起承転結

全てではないにしても、映画や小説や音楽の定番の形をイメージすれば、
おおよそのものは「起承転結」に集約出来るのではないかと思うのですが、
昨日はイタリア料理のコースを食しながら、
コレも同じと勝手に感慨深く納得していました。
小説や歌詞のある音楽は直接的に言葉で理解できるものですが、
歌詞の無いクラッシックの楽曲でもそうしたストーリーの浮き沈みを
メロディやリズムの中に感じるものです。
食の芸術と言った言葉もあるでしょうが、料理と言うのは、
散文や美術や音楽とはあきらかにフィールドの違う何かがあります。
それを言葉にする語彙を持ち合わせませんが、
昨日の食事に「起承転結」を強く感じたことが、とても新鮮に思えたのです。
もちろんそれだけシェフの料理がおいしかった訳ですが、
いままで食事をして「起承転結」と言った言葉につながった事はありません。
そこに間違いなく味覚のリズム感やメロディーがあった訳です。
一枚一枚の丁寧な盛りつけも、もちろん視覚に訴えかけますが、
むしろそれは映画に添えられたBGMなのかもしれません。
ただその結末は、スタッフの冷たい視線かもしれませんが。

学生時代に「唐長」という京唐紙の伝統工芸工房にお世話になりました。
その後も何度か機会はありましたが、ずっと顔を見せる事もありませんでした。
今年の春先、前の勤め先の親分から、唐長の奥さんがお前に会いたがってる。という突然の電話。
なぜにまた、それまで共通した知り合いでも無かったハズなのに?
その後も親分から何度か催促されていたのですが、なかなかタイミングを見つけられませんでした。
で、先日ようやく唐長の奥さんに会いに、ショールームを訪ねました。
ショールームに着いた時、奥さんはまだお店に来られておらず、
しばらくすれば来られると言う事で、スタッフの方に店内を先に案内して頂いていたのですが、
案内も最後になったころ、どこかでお会いしていませんか。
とスタッフさんから声を突然掛けられ、よくよく聞いてみると、
2年前に淡路島で活動される家具作家さんの工房へ遊びに行った際、
大学非常勤講師時代に教えていた学生が、以前よりその作家さんと交流があり、
たまたまの偶然に、ほぼ同じタイミングでその工房に遊びに来たのです。
その時、一緒について来られていた教え子の友人がそのスタッフさんだったのです。
話をそんなした訳でもなかったのによく顔を憶えていましたね〜と感心していた時に、
唐長の奥さんが渋い和装で来られました。
小一時間の予定のつもりが、あれこれ昔話になり4時間も過ごしてしまいます。
そもそもこの日、少し前これまた12年ぶりぐらいに再会した友人を誘っての出来事です。
唐長さんを後にした後、友人とまた昔話に居酒屋で花が咲き、帰りの最終電車を逃す始末。
たまたま関連した仕事先だったとは言え、前の事務所の親分が僕と唐長さんのつながりを知り。
偶然の重なりから、いろいろな繋がりが糸をほぐす様に現れました。
唐長の奥さんとの会話の最後には、
これまた学生時代にお世話になった東京の建築家の方と親しくしているという話。
その上、この日誘った友人は、教え子が勤めていたデザイン事務所の親分と、
自宅近くの飯屋さんでたまたま話をした事がある。とまで。
世の中、広いようで狭い。
ここに書かなかった偶然を書き足せば、どこで縁が重なるのか、まるで分かりません。

記念撮影

今日は去年暮れに完成した住宅の竣工写真を施主さん宅へお届け。
なかなか時間が取れずに、のばしのばしにしてしまった。(申し訳ありません!)
撮影から2ヶ月ぶり。
しかも、まだこの住宅を見ていないスタッフを連れ、見学までお願いしてしまった。
久しぶりにキル(猫)にご対面。変わらず人なつっこい。
そんなご迷惑を掛けたに関わらず、自慢の鉄道模型を走らせて頂き、
食事まで用意していただいて光栄の至り。
スタッフともどもプチ宴会にあずかった。
帰り道、この家に馴染んで来ました。という施主さんの言葉をどう思うかとスタッフに問われる。
もちろんありがたい、うれしいお言葉です。
住まいと施主さんの付き合い方はいろいろあると思います。
張りつめた空気を楽しむ緊張感のある付き合いもあれば、
誰に咎められる訳でもなく、パンツ一丁で歩ける付き合いもあります。
宴の最後に、リビングにそびえるらせん階段に皆で並び、施主さんが記念撮影を楽しむ。
この家での施主さんと住まいの付き合い方を象徴している気がします。

眩しい

梅雨は明けたのだろうか。
このところ事務所にカンヅメになっているせいか、
昼食に外へ出ると、やたらと下界が眩しい。
事務所前のえべっさんの石畳を歩くと、
かろうじて残っている体力が蒸発していくような気分だ。
朝、事務所に向かって自転車を走らせていると、
ピ〜〜〜〜〜ッツ!バシャバシャッ!キャ〜〜!
中学校のプールに映る青色がまた眩しい。
もうすぐ夏休み。
事務所のスケジュールを見ると暗いはずなのに、
徹夜で開かない眼にモニタがやたらと眩しい。

替紙

デザインが気に入っていた訳ではないが、
長く使っていた名刺ホルダーの替紙のデザインが変わっていた。
文房具のほとんどはアスクルで済ませるのだけど、
同じ替紙はないので仕方なしに文房具屋に赴いて愕然としてしまった。
自分のなかでのスタンダードが崩れた気分。
手に取ってしばらく考え込んで、肩の力が抜ける。
どうしよう。
結局買わずに店を出てしまった。替紙ごときに心が乱された。は〜。
間違いなくあるもの、という安心感が災いする。
物に愛着を持ったり、大事にする気持ちは、
デザインや使いやすさもその気持ちを起こす要素だけど、
時代を超える不変性もまたひとつの要素である気がした。
家電にしても自動車にしても流行に乗ってデザインの消費される日本。
どこか、物寂しさがつきまとう気がする。
そうなると、次のmyスタンダードをなかなか決められない。
どうしよう。

新しい生命

昨日「one-strory house」で雑誌の取材がありました。
今回の主役は工務店さん(のはず)で、実は予定外の飛び入り参加。
雑誌の取材があるので「one-strory house」を載せたい。
という工務店さんのありがたい申し出に、のこのこと顔を出した次第です。
そんな訳で、久しぶりに訪れました。
しばらく前にジュニア誕生の吉報を聞いていたところだったので、
取材よりも初対面が楽しみでした。
今までもそうですが、依頼していただいた施主さんの多くは、
ちょうど子供がいるかいないかと言った若い年代の方が多く、
何かにつけ、ジュニアのお顔を拝見しに伺う機会がよくあります。
その度に思うのですが、どことなく家の雰囲気が柔らかくなったように感じます。
住まいが家族に馴染んで行くような気さえします。
新しい生命から溢れるオーラは、建物よりもはるかに強いのかもしれません。
お父さんソックリのかわいらしい笑顔が印象的でした。
愛情に恵まれ成長する様を、これからも拝見出来るのがとても楽しみになりました。

頭が上がらない

昨日、出先で「大工の仕事展」という展覧会を見つけて入ってみた。
なにげに入ってみると受付におじさんが一人。
もしかして大工さんかな。と思っていると、
青焼を抱えていたせいか、おじさんから話しかけられた。
やはり大工さんだった。
展示された写真や図面、変わった継手や仕口をひとつずつ丁寧に説明してもらった。
それぞれのすばらしい仕事を見ると、とてもではないが頭が上がらない。
訛の混じる言葉に畏敬さえ感じる。
誠心誠意、納得のいく仕事をすれば良い施主さんに恵まれる。
なにより自分を支える周りの人に感謝する事が大事。
そう言って、別れ際にありがとうと言って手を合わせる大工さんに、
ますます頭が上がらない。

あっと言う間に

一週間が過ぎてしまった。
ブログの日付を見て、あらら。
この所の忙しさに随分ご無沙汰してしまいました。
今日は床暖房器具の設置を確認に。
はじめて使うタイプなので、興味津々。
現場の職人さんも見慣れぬ情景にやや戸惑い気味でしたが、無事終了。
その後は木構造のプレカットの打合せ。
ちょっと頭を休めねば、知恵熱が出そうです。