一段落ついた訳では無いけれど、久しぶりに落ち着いた日。
まだ少しやり残しはあるけれど、図面をなんとか見積依頼の工務店に渡す事ができた。
今日は、見積をお願いするのが2回目の工務店と、はじめての工務店。
それぞれの工務店の社長さんと話をさせてもらいながら、
計画についてにわかに頭の整理をさせてもらう。
計画の説明をしていると、図面を描いている最中に気がつかなかった事や、
盲目的になっていた部分が案外よく分かる。
それをまたフィードバックさせながら図面に落とし込む。
しばらくすれば質疑も来るだろう。
そしてまた、頭を整理する。
見積が上がってくれば、今度は頭を抱え込みながらまた整理。
こうしている内に不要な部分がそぎ落ち、計画がより明確になっていく気がします。
人にもよるとは思いますが、
描いた図面がなんの対話や障害もなくカタチになってしまうより、
いくらかのプロセスを踏む事がが自身にとっては良いフィルターになっている気がします。
説明を終えると社長さんとはたいがい世間話。
他の建築家さんの話を聞いたりすると、それぞれのやり方の違いが感じられて、
それもまた面白いものです。
月別アーカイブ: 2005年7月
起承転結
全てではないにしても、映画や小説や音楽の定番の形をイメージすれば、
おおよそのものは「起承転結」に集約出来るのではないかと思うのですが、
昨日はイタリア料理のコースを食しながら、
コレも同じと勝手に感慨深く納得していました。
小説や歌詞のある音楽は直接的に言葉で理解できるものですが、
歌詞の無いクラッシックの楽曲でもそうしたストーリーの浮き沈みを
メロディやリズムの中に感じるものです。
食の芸術と言った言葉もあるでしょうが、料理と言うのは、
散文や美術や音楽とはあきらかにフィールドの違う何かがあります。
それを言葉にする語彙を持ち合わせませんが、
昨日の食事に「起承転結」を強く感じたことが、とても新鮮に思えたのです。
もちろんそれだけシェフの料理がおいしかった訳ですが、
いままで食事をして「起承転結」と言った言葉につながった事はありません。
そこに間違いなく味覚のリズム感やメロディーがあった訳です。
一枚一枚の丁寧な盛りつけも、もちろん視覚に訴えかけますが、
むしろそれは映画に添えられたBGMなのかもしれません。
ただその結末は、スタッフの冷たい視線かもしれませんが。
縁
学生時代に「唐長」という京唐紙の伝統工芸工房にお世話になりました。
その後も何度か機会はありましたが、ずっと顔を見せる事もありませんでした。
今年の春先、前の勤め先の親分から、唐長の奥さんがお前に会いたがってる。という突然の電話。
なぜにまた、それまで共通した知り合いでも無かったハズなのに?
その後も親分から何度か催促されていたのですが、なかなかタイミングを見つけられませんでした。
で、先日ようやく唐長の奥さんに会いに、ショールームを訪ねました。
ショールームに着いた時、奥さんはまだお店に来られておらず、
しばらくすれば来られると言う事で、スタッフの方に店内を先に案内して頂いていたのですが、
案内も最後になったころ、どこかでお会いしていませんか。
とスタッフさんから声を突然掛けられ、よくよく聞いてみると、
2年前に淡路島で活動される家具作家さんの工房へ遊びに行った際、
大学非常勤講師時代に教えていた学生が、以前よりその作家さんと交流があり、
たまたまの偶然に、ほぼ同じタイミングでその工房に遊びに来たのです。
その時、一緒について来られていた教え子の友人がそのスタッフさんだったのです。
話をそんなした訳でもなかったのによく顔を憶えていましたね〜と感心していた時に、
唐長の奥さんが渋い和装で来られました。
小一時間の予定のつもりが、あれこれ昔話になり4時間も過ごしてしまいます。
そもそもこの日、少し前これまた12年ぶりぐらいに再会した友人を誘っての出来事です。
唐長さんを後にした後、友人とまた昔話に居酒屋で花が咲き、帰りの最終電車を逃す始末。
たまたま関連した仕事先だったとは言え、前の事務所の親分が僕と唐長さんのつながりを知り。
偶然の重なりから、いろいろな繋がりが糸をほぐす様に現れました。
唐長の奥さんとの会話の最後には、
これまた学生時代にお世話になった東京の建築家の方と親しくしているという話。
その上、この日誘った友人は、教え子が勤めていたデザイン事務所の親分と、
自宅近くの飯屋さんでたまたま話をした事がある。とまで。
世の中、広いようで狭い。
ここに書かなかった偶然を書き足せば、どこで縁が重なるのか、まるで分かりません。